「子育てって、こんなにしんどいものだったのか・・・」私が、そう気づいたのは、息子を出産して1ヶ月半がたち、実家から手伝いに来てくれていた母が、帰ってすぐのことでした。

まだママ友もいなくて、梅雨空の下、首も座らない息子を連れてのお出かけも難しく。

ストレスを発散しようにも好きだったお酒はもちろん飲めず、ささやかな自分へのご褒美である甘いお菓子も、乳腺炎で食べられなくなりました。

それまで当たり前だった、睡眠も満足にとることができなくて。

「1日でいいから、一晩中起きることなく朝を迎えてみたい!!」何度そう思ったか・・・。結局、その切なる願いが叶ったのは、息子が卒乳した、出産から2年5か月後のことでした。

 

本当は、いつもニコニコ、優しいママでいたいのに・・・毎日を乗り切ることで精一杯で、疲れ切った自分に対して反省を繰り返す日々。

当時は、そんな毎日を過ごしていました。

 

1人育てるのですら、こんなに余裕がないのに、何人もの子供を育てている先輩ママたち。こんな大変さを乗り越えた、世の中のすべての「おかあさん」がすごい人のように思えました。

公園や支援センターで出会うママたちは、いつもにこやかで、まるでイライラしたり怒ったりとは無縁のように見えました。

夫は仕事で帰りが遅く、地元も遠い、そんな心細さとこの小さな命を守らなければいけないという大きな責任に押し潰されそうになりながら・・・。

 

息子が5歳になった今、こうやって振り返って、やっと「あの頃の私頑張ってたな」「今まで私頑張ってきたんだな」って、思える気がするのです。

これを読んでくださっているあなたは、今、あなたの頑張りを認めてあげることができていますか?

毎日、あれもできなかった、これもできなかったって、自分を責める日々を過ごしてはいないでしょうか?

でも、何もやらなきゃいけないことが終わらなかったとしても、小さな子供と一緒に過ごしているっていうだけで、もう十分にあなたは頑張っていると思います。

本当に毎日、お疲れさまです。そう、心からお伝えしたいと思います。

 

そして、産後のあの孤独としんどさから5年。

まだまだ子育ての悩みは尽きませんが、それでも、前より、ちょっと大らかに子育てをとらえることができるようになった私がいます。

 

激しい後追い、そして、何の修行かと思うようなイヤイヤ期、泣きながら嫌がる16キロを毎日抱っこして通う幼稚園・・・そんな日々を乗り越えながら、

身に着けてきた私の子育て処世術と心が楽になる考え方。

当時の私に1番必要で、しんどさから抜け出すきっかけをくれたのは、一時的なリフレッシュ方法なんかじゃなくて、そもそも、そういう状態に陥っている自分の心や考え方のクセに目を向けることだったと思うから。

それは、私だけでなく、子育てに悩む、これを読んでくださっているあなたの心も楽にしてくれるものかもしれない。

そう思って、今日から『あきらめ子育て論』と名付けた、私の学びとその実践記を、綴っていくことにしました。

あ、今「『あきらめ子育て』って何だよ!?」って思われましたか?

・・・そうですよね(^^;

 

では、まず、今日は第1回ということで、

『あきらめ子育て』とは何なのか?(ポジティブに「あきらめる」ということ)

私が育児の暗黒期を抜け出すターニングポイントとなった、子育てにも役立つ「分類法」との出会い

について、お話させていただこうと思います。
 

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1.ポジティブに「あきらめる」

「あきらめる」この言葉に、あなたは、どんなイメージを持つでしょうか?

もしかしたら、これから私がお話することで、あなたの「あきらめ」に対するそのイメージが、変わるかもしれません。(私もそうだったから・・・)

私は幼い頃から、結構なカンペキ主義で、「あきらめる」ことが嫌いでした。

小学校の頃には、のぼり棒の1番上までの最後のひと登りが、どうしてもできなくて、先生の「もういいから降りておいで~」という説得も聞かず、泣きながらその場にとどまり続けたというエピソードがあるくらいです(^^;

そんな私にとって、「あきらめる」という言葉はネガティブなものでしかありませんでした。

 

でも、今は「子育てのしんどさを乗り切る秘訣は『あきらめ』だ!!」とすら考えています。

では、なぜ私がそう考えるようになったか?というと、それは、ある言語学者の先生の言葉がきっかけでした。

その言語学者の先生に、私は「あきらめる」の語源を教わりました。

「あきらめる」の語源、知っていますか?

 

「あきらめる」の語源は、「明らかに見る」ことなのだそうです。

ネガティブでしかなかった私の中の「あきらめる」のイメージが、ポジティブに変わった瞬間でした。

 

それから数年、試行錯誤しながら息子を育て、また、自分を見つめてきた私が、今、改めてこの言葉を説明するとすれば、

できることも、できないことも、その違いを明らかに見て、認めること。

それが、「あきらめ」である。そんな風に思うのです。

 

そうは言っても、私自身、そのことを知ったからといって、いきなり、「できないことを認める(できることも認める)」とか「違いを受け容れる」とかいうことが、できるようになったわけではありません。

 

「知る」ことは変化の第一歩でしかないんです。

ですから、この「日刊ストーリーランド」では、その二歩目以降・・・私が、「あきらめ」を利用して、どんな風にそれまでの考え方を変化させ、どんな風に自分の気持ちを楽にしていったのか?

そんな実践記『あきらめ子育て論』を、「子育てあるある」を交えながら、綴っていけたらと思っています^^

 

2.ある分類法との出会い

と、まぁそうやって、私の、あきらめ子育てライフはスタートしたんですけれども、実は、これには、私が「あきらめる」ことをもっと極めたいと思った後日談があるんです。

 

「あきらめる」の語源を知り、そこに少しの光を見出した数ヶ月後、私は、知り合いの主催する、ある子育てセミナーに参加しました。

子どもの才能発見レポートというものが、いただけるセミナーだったのですが、そこで私は、とある分類法と出会います。

それ自体は生年月日によるパターン分類だったのですが、当たっているとか、いないとか、そういうことよりも、私にとって衝撃だったのは「人によって、意志決定の方法や、響く声掛け(褒め方、叱り方)は、これほどまでに違うのだ」という事実でした。

 

この分類法を知って以降、その衝撃に味をしめた私は、今までいくつかの個性や強みの分類を学んできたのですが、以前の私から確実に変わったと言えることは、

子供、家族、友人、そのほかの全ての人たちを、同じ「人」という括りで見なくなったということです。

確かに生物学上は、同じ「ヒト」ですが、個性豊かなアンパンマンのキャラクターくらいに、それぞれ違うと捉えてみても良いかもしれません。

子育てにしろ、他の人間関係にしろ、自分と「同じ人間」という捉え方をしていると、自分と違うことには、納得ができなかったり、いら立ちを覚えたり、また自分に自信がない場合には、それが劣等感に繋がってしまったりするんですよね。

 

子育てのしんどさは、精神的なものでいうと、人(子供や家族)と分かり合えないしんどさ、それと、他人との比較であったり、理想のママに近づけない自分に対するしんどさによるところが大きいと思うんです。

もちろん、寝られないとか抱っこで腰が辛いとか肉体的なしんどさも大きいですし、自分の時間がとれないという時間的なしんどさもありますよね。

でも、これって、対処法(シッターさんを頼むとか、家族に協力してもらうとか、整体にいくとか)はあれど、根本的には子供の成長を待つしかないものです。

それに対して、精神的なしんどさというのは、相手や環境に原因があるように見えて、実は根本は、あなた自身の中にあったりします。

それは、あなただけがアプローチできる部分。

だから、「あきらめ」の力を借りて、そのしんどさの原因となっている思考を少しずつ変えてみませんか?

 

というのが、今回のこの「日刊ストーリーランド」での私の試み(一緒に挑戦してくださる方、募集中!!)です。

 

「あきらめ」については奥が深いので、これから具体的な話を交えながら、私がどう捉え方、考え方を変えてきたかというところをお伝えしていきたいと思っています。

次回は、私自身の中で結構大きな悩みであったママとしてのコンプレックスに向き合った話と、今日書くことができなかった、タイプ別の子供に響く声掛けの話をお届けしますね。

最後までお読みいただいて、ありがとうございました。
 

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