「僕の表現したいヒューマニティーとは、もっと個人に帰っていくと言おうか、自分の内面に向かう人間性のことなんです。対社会の中でどうやって生きていくか、ということより、自分本来の姿で嘘偽りなく生きていくことの方が大切なんじゃないか、そういうヒューマニティーを表現したいんです」
これは、ANGELがリリースされた1988年、28歳になったばかりの氷室京介が、ファンクラブ会報誌「KING SWING」創刊号のインタビューで語った言葉です。

スポンサーリンク

氷室京介が求める音楽

ANGELは、氷室京介のソロデビュー曲。1998年7月21日にリリースされました。
BOØWY最後のライブ「LAST GIGS」が行われた、その3ヶ月後のことです。

ANGELを歌う前はいつも「一番大切にしている、エイトビートのロックンロールを贈ります!」という言葉で紹介してくれていたのが、耳と心に残っています。この曲から氷室京介が始まり、ずっと一緒に生きてきた。そういう想いを抱かせてくれる、ファンにとっても大切な曲の一つです。

「チープな夢ならば いくつか手に入れたけど 眠れぬ魂が 何かを求めてる」

人気絶頂の中、6年間のバンド活動に終止符を打ち、一人のミュージシャンとして出発し始めたばかりの彼の内面世界を知りたくて、分かりたくて、この曲とじっくり向き合ったファンも多かったことだと思います。

(彼が本当に求める音楽、彼の魂が求める音楽とはどんなものなのだろう?)

そういう気持ちを抱きながら、一つ一つの言葉を理解しようと、何度もなんども聴いていたことを覚えています。

「KING SWING」創刊号(1988年winter)

わたしの手元には「KING SWING」創刊号(1988年winter)があり、時を超えて2018年の今、再び読み返しています。
そこには、28歳になったばかりの氷室京介の言葉で語られる世界観が、熱く静かに広がっていました。
始まりの曲「ANGEL」に込められた想いや、音楽に対する根源的なものが、感じ取れるのです。
それは28歳の青年の真っ直ぐさ、と言うよりも、その後もずっと変わらずに大切にし続けてきたミュージシャン氷室京介の生き様、という言葉の方がしっくりくると思います。
インタビュアーは、ロック・ジャーナリストの水上はるこ氏。
まず、氷室京介が用いた「ヒューマニティー」という表現について問われるところから始まります。そこから彼自身について、自ら語らせていく対談形式。

以下に一部を引用します。

自分本来の姿で嘘偽りなく生きていくヒューマニティー

【引用ここから】
水上氏「ヒューマニティーという表現について説明してください」

氷室氏「こういう仕事をやっていて行き詰まったり、悩んだりすることが結構あって。で、人間が本来あるべき姿、みたいな部分を見つめ直す時期がたまたまあったんです。その時、次のアルバムのテーマはこれにしようって思ったんです」

水上氏「今の日本の音楽界において、ヒューマニティーという言葉は、反核とかチャリティー・コンサートとかの方向に行ってしまいがちですよね」

氷室氏「そうですね。ある種、運動することこそがヒューマニティーという風に短絡させられてしまう傾向はありますね。本質からどんどん離れてイメージだけが広がって。僕の表現したいヒューマニティーとは、もっと個人に帰っていくと言おうか、自分の内面に向かう人間性のことなんです。対社会の中でどうやって生きていくか、ということより、自分本来の姿で嘘偽りなく生きていくことの方が大切なんじゃないか、そういうヒューマニティーを表現したいんです」

水上氏「個人のヒューマニティーみたいな意味、と受け取っていいのでしょうか。あるミュージシャンが音楽を作り、レコードを発売し、コンサートをやり、そこでどれだけ人間的でいられるか」

氷室氏「身の回りに起こる色々なこと。それに対人関係。何もかも信じられず疑心暗鬼に陥ることもあるわけです。周りの人間が自分を陥れようとしているのでは、とか。うまく利用されているだけではないか、とか。そんな気分から抜け出す一番いい方法は、たとえ誰かに利用されているのだとしても、まあ、それに乗っかってしまえばいいんじゃない、と自分を納得させることなんです。変に突っ張って逆らうよりは、素直で優しい自分を見失わなければいい、そう考える様にしているんです」

【引用ここまで】

1988年の氷室京介が、2018年のわたしたちに伝えてくれるもの

ライブで時々「16、17歳の頃から全然変わっていない」と語っていた彼を思い返しながら、その言葉の意味と重さを、今、ずっしりと受け止めています。
彼は、人間らしさを隠さずに、いや、むしろヒリヒリするほどの痛みを感じさせるくらい、彼の内面に向かう人間性をさらけ出していたのだと気づきました。

彼の佇まいや在り方から、時々悲しいくらい、儚さを感じることもあって、ライブ中にひっそりと涙していたわたしを思い出しました。
圧倒的な存在感とは裏腹に、どこか消えていなくなってしまいそうな危うさを感じていたのです。

彼自身の本質と、それをどう表現するのか、どう音楽にするのか、そのせめぎ合い。

そういうものを感じ取ってわたしたちは、彼に惹かれ続けているのかも知れません。

時空を超えて、1988年の氷室京介が、2018年のわたしたちに伝えてくれるものは、ことさら心に響きます。
ダウンしても立ち上がる、その生き様をぶれることなく見せ続けてくれていたから。

読んでくださって、本当にありがとうございました。
次回は、「氷室京介 【ANGEL】1988年の氷室京介の世界観 Vol.2」を書かせていただきたいと思います。
スポンサーリンク