野村克也の恩師も登場する本「野村ボヤキ語録」再生工場の起源。

尊敬する人物・好きな人物 濃縮書籍レビュー 野村克也

【野村克也氏著書・野村ボヤキ語録――人を変える言葉、人を動かす言葉 p10より「見ている人は見ているよ」「おまえようやったな」】

プロ野球の世界に「ノムさん」とよばれる、面白いことばかり毎日ボヤいている80歳を超える元気なおじいさんをテレビなどでご覧になったことがあると思う。この人こそ、日本のプロ野球の数々の“革命”を起こしたといえる野村克也氏である。私は、このノムさんが大好きなのだ!

少し自己紹介しますと私は、「月見草パパ」と呼ばせていただきます。毎日通勤電車で新宿の会社に通う50歳前の会社員で、家族は妻と二人の息子という全くありふれた人間です(電車内では全く目立ちません。。)。そんな私も、野村マニアとしてなら語りたいことがいくらでもあるのだ~。この場ではその魅力を語りまくりたい。ノムさんファンのみなさま! これから興味をもっていただけるみなさま、、いっしょに遊びましょう^^。どうぞよろしくお願いいたします(ちなみに「月見草」はノムさんが同世代の長嶋茂雄や王貞治が日の当たる「ひまわり」ならば自分はひっそり咲く「月見草」と例えたお花です)。

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ノムさんこと、野村克也氏は現役時代は名捕手、パ・リーグを代表する打者であり選手兼監督としても功績を残し、引退後も「ID野球」をかかげ3度の日本一を勝ち取るなどヤクルトの黄金時代を築き、その後も阪神、楽天の監督を務め、それらの弱体チームが数年後に優勝する礎を作った人です。
「考える野球」、「弱者が強者に立ち向かう戦略」など、この人の話はビジネスマンにもビシバシくるものばかり。

これから3回に分けて、まずノムさんの著書『野村ボヤキ語録――人を変える言葉、人を動かす言葉』(角川oneテーマ21)の面白かったところを紹介していきます。

●「おまえ、ようなったな」(南海 鶴岡一人監督から野村克也選手へ) 一言は人生をも変える

『おまえ、ようなったな』 南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)の監督だった鶴岡一人さんがかけてくれたこのひとことがなかったら、私はこれほど長くプロ野球選手の世界で生きていくことはできなかったかもしれない。たったの一言で人生をも変える力があるのだ」。この本の一番はじめに、たった「ひとこと」の重みが語られる。「見ている人は見ているよ」と。

まだノムさんが契約金なしのテスト生として南海に入団し、ブルペンキャッチャー要員からはいあがって、ようやくレギュラー・ポジションをつかみかけたころに、絶対というほど自軍の選手をほめない鬼監督の鶴岡さんに、球場ですれちがいざまにこの言葉をかけられたのだ。自分に厳しい監督が、「ちゃんとおれのことを見ていてくれたんだなあ」という感激をいまだに忘れないのだという。

「この言葉がなかったらいまの私はいない」という経験は事実だろう。一言がなんという野球の大人物をつくったことか。

ふりかえってみれば自分もありふれた会社員パパ。自分より若い人や、中高生となる自分の子に何を話していたかをふりかえらせられた。

とかく、あんまり考えなしに誰かに話すときに、そこにもしかしたら人の人生をも変える重みを与えているかもとか。その重みに気づくようにはなりたい。

 

【1935年生まれ。今年で83歳。いまもテレビやスポーツ新聞で元気にボヤくノムさん】

 

●「来年はおまえに期待している」(楽天 野村克也監督から岩隈久志投手へ) 「やる気」を引き出す

楽天監督時代のチームのエース、岩隈久志投手とのやりとりのエピソードは自分的にグッとくるものがある。

ノムさんは、「中心選手にチームの鑑」であることを求める。中心選手の言動はチーム全体に大きな影響をおよぼすからだ。しかし、岩隈投手は性格的におとなしいこともあってか、「チームのために投げる」という意識が希薄にみえたと。ここら辺、会社の自分によく似たタイプなの。岩隈さん。

「エースがこれではチームに悪影響を与える」と思ったノムさんは、岩隈に盛大にぼやいた!「すぐにマウンドを降りたがる」「ガラスのエース」「岩隈さんは百球肩だなあ」と。厳しすぎるように見えたかもしれないが、それは彼への期待の裏返しでもあった。

ここで、ノムさんの名言きました!「ぼやきや非難は、いわば理想主義の表れである。理想が高いからこそ、その選手にかける期待が大きいからこそ、そこに届かなかったり、応えてくれなかったりした場合はそれだけぼやきと非難も大きくなるわけだ」。そして、「人間は無視・賞賛・非難の順で試される」と話は続く。「おまえはまだまだできるはずだとの願いを込めて非難するのである。私が岩隈を徹底的に非難した真意はそこにあった」と。

しっかり次のタイミングで“非難は期待の裏返しであること”を岩隈に伝えた。「来シーズンのカギを握っているのは、やっぱりおまえだぞ」。のちに岩隈はこれを「うれしかった」と語っている。翌年岩隈はボヤキにこめられた期待に応え、なんと21勝4敗防御率1・87でタイトルを総ナメにした。

こんな上司がいたら、火つくよな。

 

【ヤクルト応援歌の「東京音頭」。1980年代中頃、当時の応援団長がBクラスに低迷していたスワローズを「応援している人を多く見せたい」というところから傘を振ることを思い付いたことがはじまりという。選手が活躍するたびに傘とともに東京音頭が歌われるようになり、90年代の野村ヤクルト黄金期には、毎日のプロ野球ニュースでこの傘をふるスタンドが映し出され名物となった。強いヤクルトを印象付ける場面としていまもすっかり定着している】

 

●「コントロールで20勝せい」(南海 野村克也捕手兼監督から山内新一投手へ) 「気づき」を与える

世にいう「野村再生工場」第一号といわれる山内新一という投手とのやりとりは味わって読んでしまう。

まさしく「再生」のエピソードだからだ。1969年に巨人に入団した山内は、伸びのあるストレートとシュートで2年目に8勝をあげ、将来を嘱望されていた。しかし、右ひじを痛め2年は1勝もできず、ノムさんの南海ホークスにトレードでやってきたのだ。

そこでノムさんは感じた。山内は「過去の幻想を捨て切れずにいる」と。そこにはいまだスピードへの夢をあきらめられていない姿があった。こういうことありがちですよね。自分も年齢による体力の衰えを認めたくないことってありますよ。でも、くるもんですよね。そういうときって。

ただノムさんは、“この投手のひじが曲がっていてボールが自然にスライドすること”に気づいた。「もしかしたら、おもしろい存在になるかも」。こういうノムさんの気づきが大好きだ。そして、山内に告げる。「おまえはスピードで勝負するのは無理だ」と断り、さらに再生のアドバイスをする。

「低めのコントロールと変化球で技巧派に変身しろ。ロッテの村田(兆治)がスピードで20勝するなら、おまえはコントロールと技巧で勝負しろ」と。
すぐに納得しない山内にフリーバッティングで投げさせてコントロールの大事さを実感させ、実戦でもコントロール重視で投げさせる。すると内野ゴロの山を築き鮮やかな完封勝利。これで目覚めた山内はなんと20勝するのである!

相手をよく見て、その人にもっとも適格な勝つための方法は何かを考え、気づきを与える。それが幾人もの一旦はお払い箱となった選手を見事に「再生」していく。ノムさんにはこんな「再生工場」の話がいくつもある。自分もそんな風に人に接したいものだ!
よく見て、よく考えれば、だれでも「再生」したり「活躍」できたりするものをもっているし、それを引き出す人のあまりにも大きな役割に、自分の人生の可能性すら輝いてみえるのだ^^。

(第2回へ つづく)

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