「現在の僕の歌詞って、やはり全部自分に帰ってくるものなんです。外部に向かってメッセージを発しているのではなく、自分のメンタルな部分を表現している。だから、ミュージシャンの仕事として歌詞を作っているというより、僕の人生の証明として歌を書き続けなければならない、そんなものなのです」
これは、ANGELがリリースされた1988年、28歳になったばかりの氷室京介が、ファンクラブ会報誌「KING SWING」創刊号のインタビューで語った言葉です。
前回に引き続き2018年の今、「1988年の氷室京介の世界観」について迫っていきたいと思います。
表現者 氷室京介
今から30年前の、1988年11月3日。
新宿のとあるホテルで「KING SWING」第1回目のインタビューが行われました。
そこで、
(外部に向かってメッセージを発しているのではなく、自分のメンタルな部分を表現している)
と語った氷室京介。
当時28歳の青年だった彼の言葉が、今になってじんわりと心に染み込んでいきます。
後世まで名を残す芸術家や作家は、得てして早熟だと感じていました。わたしの好きな作家である太宰治、樋口一葉、芥川龍之介、然り。
でもだからこそ、人の心の襞(複雑で微妙な部分)にまで入り込んで、心を震わすことができるのでしょう。
上っ面の耳触りのよい言葉や、着飾った表現の仕方では、人の心は動かされないのです。これは時代を超えても変わらない、普遍的な真実みたいなものだと感じています。
そこに、理屈は存在しない。
そしてそれは、自分自身と深く向き合った者だけが表現し得る世界観だとも感じています。とことん、「対自分自身」を表現しているのだと思うのです。
受け取る方は「対わたし」に変えながら、自分のこととして内側へと向かい落とし込んでいく。
そうやって、わたし達は、表現者であり、芸術家である「氷室京介」に心惹かれていくのでしょう。
氷室京介のヒューマニティー
以下に「KING SWING」創刊号の一部を引用します。
インタビュアーは、ロック・ジャーナリストの水上はるこ氏。当時、水上氏は20年以上に亘りロック・ジャーナリストとして活躍していましたが、そのほとんどが海外のアーティストで、「日本人アーティストをインタビューするのは、氷室さんで4人目なんです」と話していました。
水上氏「私はあるレコード・レヴューで、あなたの歌詞には文学的な要素が感じられると書いたのですが、文学にはどの程度興味がありますか」
氷室氏「真剣に本を読み始めたのは18くらいからなんですけど、どのジャンルに夢中になったなんてこともなく、一応、人が読んでいるものは読んでおこうという興味しかないんです」
水上氏「では、歌詞で聞けるような観念的な表現は、あなたの中でどうやって形成されていったのかしら」
氷室氏「どちらかというと、文学的な繋がりより、自分の人生観や哲学と関わっているような気がします。子供の頃、大人たちに接してきた接し方なんか色々な話を聞くと、自分だけ被害者意識が強くて閉鎖的なところがあったらしい。何があっても、全て自分の中に帰して、自分で処理してしまう様な子供だったらしいんです。そんな体験が、今、歌詞を書いているという行為にすごく影響を与えていると思うんです。現在の僕の歌詞って、やはり全部自分に帰ってくるものなんです。外部に向かってメッセージを発しているのではなく、自分のメンタルな部分を表現している。だから、ミュージシャンの仕事として歌詞を作っているというより、僕の人生の証明として歌を書き続けなければならない、そんなものなのです。
【出典:「KING SWING」創刊号より】
(何があっても、全て自分の中に帰して)
これこそが、氷室京介をつくっている本質的な部分なのかも知れません。
そして(自分の中に帰して)いくことが、氷室京介のヒューマニティーに繋がっていくものなのかも知れません。
外部に向かっていくのではなく、純粋なまでに自分の内部に向かっていく。
「誰かの心を動かそう」というのではなく、そんな意図はなく、自分の内側のメンタルを表現したいという思いが、ミュージシャン氷室京介の根源なのかも知れません。
「弱さ」をさらけ出せる「強さ」
(臆病な俺を見つめなよ ANGEL 今 飾りを捨てるから はだかの俺を見つめなよ ANGEL)
(いつでもやさしさを弱さと笑われて 弱さをやさしさにすりかえてきたけど BABY 聞こえるかい この鼓動そのままで 今オマエに)
これは、インタビューが行われた同年7月にリリースされた「ANGEL」の歌詞の一部です。
「ANGEL」の世界観がよく表れている部分だと感じています。
「臆病な俺」「はだかの俺」「弱さ」という言葉を聴いた時の驚きは、今でもはっきりと覚えています。
「強くて格好いい氷室京介」が、なぜ、そのように表現したのか分からなかったからです。
BOØWYの終わりの美学(ロック界の頂点まで達したら解散する、と結成当時から決めていたという話)も格好いいと思っていましたし、「Ø=どこにも属さない、誰にも似ない」というスタイルにもしびれていました。
それをぶれることなく体現し、わたし達の前に、今度は一人のミュージシャンとして現れるのだから「格好よくて当たり前」という強い思いがあったのだと思います。
当時13歳だったわたしには「弱さをさらけ出せる強さ」の意味が分からなかったのでしょう。強いものへの憧れが強過ぎて、本質的なものを見る力がまだ備わっていなかったのだと思います。
弱いところも臆病なところも、隠さずに伝えられること、見せられること。
今はこのことがどれほど大切なのか、分かる様になってきました。
ANGEL
ソロデビューシングル「ANGEL」のレコーディングでは、チャーリー・セクストンがギタリストして参加しています。ギタリスト、シンガーソングライターで、のちにボブ・ディランのバックバンドでも活躍した人物です。
この頃、チャーリー・セクストンをよく聴いていた氷室京介は「自分のバックでチャーリーにギターを弾いて欲しいという想いがあり、駄目元でANGELのデモテープを送った。そうしたら意外なことに“面白いから是非一緒にやろうぜ”という返事をもらった」と話しています。(『氷室京介ぴあ (ぴあMOOK) ムック – 2013/8/20』より)
今聴いても最高に格好いいエイトビートのロックンロールを、多くの方達に聴いていただけたら嬉しいです。聴き終わった後は、どんな自分でも大丈夫、素直に生きていこうと思わせてくれる一曲だと思います。
読んでくださって本当にありがとうございました。