何かが足りない
それでぼくは楽しくない
足りないかけらを探しに行く
これは、シェル・シルヴァスタイン氏の「The Missing Piece」という絵本の中の一節です。
氷室京介は、この作品にインスパイアされて「MISSING PIECE」というアルバム、そして同名の「MISSING PIECE」という曲を1996年にリリースしました。
「本作のレコーディング中の氷室は東京、ロサンゼルス、ニューヨークを飛び回り、イメージひとつひとつを確認しながら音楽に向き合った経緯があり、その心情をも感じさせる」(『氷室京介ぴあ (ぴあMOOK) ムック – 2013/8/20』)
と評されるように、氷室氏自身の求める音楽とはどういうものか?足りない欠片とは何なのか?を真摯に求めて生まれた作品なのだということを感じます。
自分の中の「MISSING PIECE」
誰もがきっと抱くであろう、自分の中の足りない何か。
その足りない何か(欠片)さえ見つけることができたのなら、この生きづらさは消えて無くなるのではないかと考えます。
うまく生きられないのは、その欠片がないからだ。
うまく生きられない自分には、そのピースが必要なのだ。
足りないピースを、欠けたところにはめ込めば、きっと満たされる。
だから人は、それを探し求める旅に出かけるのかも知れません。
氷室京介氏の「MISSING PIECE」Vol.1
どこかへひろがる青い空
どこかで誰かを探してる
破いた手紙の続き 気持ちをいま思いだせば
あのとき逃した鳥が ここへ戻る気がする
氷室京介の「MISSING PIECE」という曲は、そうやって始まります。
「どこかへ」「誰か」「破いた手紙」「あのとき逃した鳥」「ここへ」
これらの言葉から、(この曲中の)彼が探し求めている欠片をイメージしてみようとするけれど、まだ分かりません。
どこかとは、どこなのか。
誰かとは、誰なのか。
破いた手紙とは、受け取った手紙なのか。それとも、誰かに宛てて書いたけれど出さなかった手紙なのか。
あのとき逃した鳥とは、何を象徴するものなのか。
かつての恋人なのか、それともあのときの自分の心なのか。
「ここへ」とは自分自身のことなのか。
氷室京介氏の「MISSING PIECE」Vol.2
歌詞を読み進めていくと、彼の探し求めているもの、その輪郭が少しずつ見えてきます。
ふたりで眠った部屋を 記憶だけで散らかして
ひとりで目覚める朝に その名前をささやく
MISSING PIECE 君だけを探して
MISSING PIECE 歩き続けてる
(別れてしまったかつての恋人かも知れない)
(目が覚めた僕の隣に、今はそのぬくもりが感じられなくてさみしい)
(この部屋には彼女を感じさせるものは何もないけれど、記憶だけで繋がろうとしている)
(別れてしまった君だけを探して、歩き続けている彼)
そんな風に、別れた恋人を一人思う主人公の姿が浮かんできます。
シェル・シルヴァスタイン氏の「The Missing Piece」
シェル・シルヴァスタイン氏の「The Missing Piece」という絵本には「ぼくを探しに」という邦題が付けられています。
だめな人と
だめでない人のために
という印象的なメッセージで始まる作品です。
「The Missing Piece」あらすじ
主人公の(ぼく)は、細い線で描かれた丸いいきもの。
コロコロ転がりながら足りないかけらを探しにでかけるのですが、体がかけているためあんまり速く転がることができません。そのため立ち止まってはミミズとお話をしたり、花の香りをかいだり、蝶々に自分の体に止まってもらったりしながら、野を越え、海を越え転がっていきます。ぼくのかけらかな、と思う出会いもいくつかありながら、なかなかぴったりなかけらは見つけられません。
そんなある日、ついにぴったり合うかけらと出会います。
前よりもずっと速く転がれるようになって、ごきげんで前に進んでいきます。
あまりにも調子よく転がっていくものだから、ミミズとお話しすることも、花の香りをかぐことも、蝶々に止まってもらうこともできない、楽しい歌も歌えない…そのことに気づいて、せっかく手に入れたかけらだけれど、それをそっと手放します。
そうして今度は、ゆっくり一人で転がりながら「足りないかけらを探しに」でかけていきます。
わたしがこの本と出会ったのは、20代前半の頃。
氷室氏の「MISSING PIECE」が生まれるきっかけになった作品だと聞いて、読んでみたくなったのです。
当時、どうしようもない程の生きづらさを感じていたわたしは、「ぼくを探しに」という邦題にも惹かれました。
「今のわたしは偽物で、本当のわたしはどこか違うところにある」という思いを抱えながら、必死になって自分探しをしていました。
そんなわたしでしたから、この作品を読み終わった後に「伝えたいことが分からない」という感想を抱いたことをよく覚えています。
今、改めてこの作品を読み返してみると当時は分からなかったニュアンスやその感覚が、感じられるようになってきたことに気づきます。
氷室氏が「MISSING PIECE」という作品を創ったのは、30代後半の頃。
その頃の氷室氏が、何をどう感じ取ったのか、少しは分かるようになってきたかなとも思います。
氷室京介氏の「MISSING PIECE」Vol.3
MISSING PIECE 地図さえも持たずに
MISSING PIECE 永遠にさまよう
MISSING PIECE 君だけを探して
MISSING PIECE 歩き続けてる
「彼の探し求めているものは、彼の生き方そのものなのかも知れない」
「彼の探し続けている君は、内なる自分なのかも知れない」
自分の中の足りない何かは、誰かと出会いながら、様々な経験を重ねながら、知っていくものかも知れません。
誰かと比べて、これが足りないから、そこを補っていく。
その欠けている部分を、一生懸命埋めようとしていく。
誰かと比べて、自分はこれが足りないから、そこに近づくための旅をするの?
それが、自分の人生という名の旅なの?
そう問いかけられているように、聞こえてきます。
自分の中の足りない何かは、誰かと出会いながら、様々な経験を重ねながら、知っていくものなのでしょう。
それは、他の誰でもない自分と向き合うための時間になっていきます。
そうやって、内なる自分と出会いながら、自分らしさを見つけていくのでしょう。
氷室京介氏の「MISSING PIECE」は、そのことをそっと伝えてくれる曲だと思います。
読んでくださって、本当にありがとうございました。