【野村克也氏著書・野村ボヤキ語録】
――2010年1月発行の著書。楽天監督退任直後のもの
先日、日本ハムの輝かしいルーキー清宮幸太郎の1軍デビュー連続安打が7で止まった。これはすごい記録だ。その途上の高卒ルーキーでデビュー5連続安打を記録した5月6日の日本ハム対ロッテ戦。夜のプロ野球ニュースの解説で驚くことが起こった!
清宮の打席を映像で振り返って、「コントロールの悪い投手で左対左で球が抜けて自分の方に来る気もするけど、腰が引けるかと思ったけど、逃げずに勇気を出して立っている」「あれは逃げ腰で打ったら内野安打にならない。腰を引かずに打っているから内野安打」「良いわ この選手は」。低い声で分析するおじいさん。この人こそ名監督であり、名解説者のノムさんこと野村克也氏である。ボソッと話す一言ひとことにグーッと引き込まれるのだ。やはり一流の言葉はいつも面白い。
この日、滅多に人を褒めないこの人が清宮を褒めた!これは必ず清宮選手に届くだろう。やはりこれもノムさん一流のささやき戦術なのだろうか。清宮選手はきっとこれからもノムさんの解説に注目するだろう。
私は、このノムさんが大好きな「月見草パパ」です。今日はノムさんの著書『野村ボヤキ語録』の魅力の紹介の、その2。ますますボヤキを味わいましょう^^。
●「おまえ、八百長しとらんだろうな」(南海 野村克也捕手兼監督から江夏豊投手へ) ほめるだけが愛情ではない
「やさしい言葉をかけるだけが愛情ではない」という章があり注目した。ノムさん曰く、「最近は部下に嫌われたくないと願っている上司が増えているようだ」と、書き始めている。そして、じつはプロ野球でもそういう風潮がある、として「やたらと選手をほめ、おだてあげるのを目にすることが多くなってきた」と。
そして野村節が炸裂する!「そのような監督や上司のもとで働かなくてはならない選手や部下は不幸だといわざるをえない」「私は『選手は自分の子どもだ』と思っていた。だからこそいいにくいことでも直言してきたし、厳しく叱ったりもした。・・いや、ほんとうに愛情を感じていれば、そうせざるをえないのだ」。私自身、自分より若い人と仕事をすることも多くなってきたが、本当に相手の成長を考えていうべきことを言っているかと考えさせられた。思ったことを伝えるのは勇気がいる。しかしそこにほんとうの愛情があるかどうかを考えて、これから若い人には、少しは年上からの言葉をかけられるようになりたいと思う。
エピソードでは、球界の大投手である江夏豊投手との思い出が語られる。江夏は才能がありすぎて南海に来る前の阪神時代に甘やかされて、本人も傲慢になっていた。南海に来てもその態度がかわらなかったときに、ノムさんは「この態度を改めねば」と思う。ある日、二死満塁の場面でコントロールのよい江夏がフォアボールをだして。押し出しで負けることがあった。試合後、ノムさんは江夏に「おまえ、まさか八百長しとらんだろうな!」と真剣な剣幕で伝えると、最初は笑っていた江夏が「絶対にやっていない。信じてくれ」と答える。
さらに続くノムさんの言葉が江夏との信頼を不動のものにする。「よし、わかった。だがな、おまえが変なピッチングをするたびに、怪しいと思う人がいる。その人たちの信用を取り戻すには、口で百万遍やってないと言っても誰も信じてくれないよ。マウンドで証明するしかないんだぞ」。しばらく黙っていた江夏はおもむろに口を開いた。「そんな言いにくいことを面と向かってはっきりいってくれたのは、監督がはじめてだ・・」。それから江夏は態度をあらためたというこういう話だ。
大投手で傲慢になっている人物に対して信頼してはっきりと期待を伝えることで、より信頼を強くする。これはどこの世界でもいきる話ではないだろうか。素敵な会話だなあと思って読んだ。さて、傲慢な若いヤツに自分ははっきり言えるだろうか。胸に手をあてて顔がうかぶ人数人。自分も少しは信頼して前にすすみたいものだと思う。
【野村克也氏著書・野村ボヤキ語録p111
阪神からやってきた大エースで傲慢だった江夏がノムさんの一言に態度をあらためた】
●「『叱る』と『怒る』を混同するな」(野村克也氏の名言)--成長を促すために叱る
ノムさんは「叱る」と「怒る」を混同するなという。「人間は叱ってこそ育つと信じ、ほめるより叱ることを指導の基本方針にしてきた」という言葉を聞くと、さぞ怖い人のようにも思えるのだが、実はその先がある。「肝に銘じていたのは、自分の保身のために叱らないということである」と。ノムさんは続ける。「そもそも、なんのために叱るのか。もちろん、失敗を次につなげ、成長を促すためである。叱ることで相手にどこが悪いのか、何が足りないのか気づきを与え、それならどうすればいいのか考えさせることが目的なのである」。そして、そもそも「叱る」と「怒る」は違うといい、「怒り」はたんなる自分の感情の発露で、そこに愛情がなければ「叱る」ことにはならないと力説する。
そして来た!野村節。「『叱る』と『怒る』をはき違えている指導者がなんと多いことか。愛情から『叱って』いるのか、それとも保身や一時の感情から『怒っている』のかは、相手はすぐに見抜く」。これですよ。相手は見抜くのだよ。と自分の上司に言ってあげたい。
【はっきり言って愛がない感情や保身の怒りをぶつける指導者は幼稚で出来が悪い。息子が所属していた少年野球では少年らが四方八方からの大人コーチやOBらからの「気合」掛け声に打席でガチガチになり、三振したら「あーあ」の声。出来の悪い指導者たちだった。はっきりいってやめてよかったとパパは思っているぞ】
●「失敗と書いて、せいちょうと読む」(野村克也氏の名言)--結果論で叱るのは禁物
関連して結果だけで見ないこともノムさんは言う。「『打たれた』という事実しか見ず、その過程に着目してやらなければ、いつも監督の顔色をうかがうようになるか、あるいは反発もしくはモチベーションを失うかのどちらかだろう」。まさにそうだ。そしてノムさんの名言が登場する。「失敗と書いて、せいちょうと読む」。失敗を恐れては成長しない。失敗したら、それを反省し、次につなげればいいだけの話で、それが成長という意味なのだと。本当にノムさんのもとで働きたいなあと思う。
この話には続きがある。何も考えずに準備することなく三振したりヒットを打たれたりした場合は容赦なく叱るというのだ。仮に結果がよかったとしても絶対にほめなかった。結果オーライという考え方は、絶対に次につながらないからだと。社会の現場では、けっこう結果オーライですましたり、すまされたり、結果自身を忖度されてうやむやにされたりが、実に多い。
結果オーライという考え方を絶対にとらないと言い切れるノムさんは、すべて考えにもとづいた行動をもとめ、自分も考えたうえでボヤいているということだ。この辺りにしびれてしまう。勝負師に、もっと言えば人生に本当はイチかバチかなどありえないのだと、イチかバチかで結婚相手を決めた(!)要素がある自分はまた教えられた思いだ。あーこの記事は妻には内緒で書いています^^。