「子育てとイライラ」これはもう、「ハブとマングース」レベルの切っても切り離せない関係なのではないか・・・私は常々そう感じています。特に魔のゾーンは1歳から2歳のあの期間・・・イヤイヤ期でしょう・・・
とりあえず、今のところ、なんとかかんとか5歳まで子育てをしてきて、0歳は0歳なりの、1歳は1歳なりの大変さやストレスがあり、
今現在も、跳んだり戦ったり、泣いたり甘えたりと忙しい5歳児男子と対峙しながら、大変さを感じています。
でも、やっぱり、私個人的には、1番イライラして精神的に余裕がなかったのは、魔の2歳児とも言われるイヤイヤ期の時期だったなぁと、振り返ってみて思うのです。
私は、その頃、もう思いっきりイライラして、自己嫌悪に陥ってという日々を繰り返していましたし、本当にしんどい毎日を送っていました。
息子にも、かわいそうなことをしたなと思います。あんなに求めてくれていたのに、ごめんねって。
だけど、あの頃の私は、少しでもいいから、ひとりの時間が欲しかったし、本当にイッパイイッパイだったのです。
子供の感情に向き合って、子供の目線で、気持ちを言葉にしてあげて、寄り添ってあげることも確かに大切です。
だけど、イヤイヤ期の子供、幼い子供が、1日にどれだけの回数、愚図るか、常にそんな風に温かく接することが、どれほど難しいか・・・
だから、しんどいときは、諦めてみませんか?まるで模範生のような、いい母親になることを。
こんにちは。学びママです。連日連夜の子育て、いつも本当にお疲れさまです!!
さて、今日は、私が子育て暗黒期を乗り越えた方法、そして現在の奮闘記を余すところなくお伝えしていくシリーズ「あきらめ子育て論」第10回です。
前回に引き続き、今日も、正しく「あきらめる」ことで、子育てがちょっと楽になった、そんな私の体験談をお届けしていきますね。
◆「あきらめ子育て」って何ぞや?と思われた方は
→《あきらめ子育て論① しんどい心が楽になる「あきらめ子育て」実践記》
1.地雷を踏んでしまったら・・・
2歳児の1日は、まぁ、朝から晩まで、地雷だらけです。
そして、1度うっかりその地雷を踏んでしまったら、しばらくは手が付けられません。
「うわ、こんなところに地雷があったとは!!」なんて、おちゃらける余裕があるときはいいですが、日々こんなことの連続だと、もはや「最悪だ・・・」としか思えませんよね。
そんなことが続くうちに、ママたちは、精神的に追い詰められてしまうのだと思います。
でもね・・・愚図りだしたら、どうせ何しても無駄なんです。
もはや本人も、なんで泣いているのか分からなくなっているんじゃないでしょうか。
だから、そういうときは、途方にくれたり、怒り飛ばしたり、一緒に泣いてしまったり、そんな感情からちょっと離れて、冷静に、その様子を動画をとってみることが、意外にもオススメです。
「えーーーーっ」と思うかもしれませんが、2歳3歳の時期のワガママに、真正面からずっと向き合っていたら、身が持ちませんよね?
その動画を、子供を寝かしつけた後、そして、ちょっと子供が大きくなった頃に見返すとすっごく可愛いんですよ!!
例えば、上手く履けないことに自棄(ヤケ)になって、ズボンを無理やり手に通して着ようとしている姿とか、泣きながらも一生懸命3本指のピースをつくってカメラ目線になってる姿とか。
うちの息子は、なぜか言葉が話せるようになってから、泣くとき、「涙~~!!涙よ~~~!!ナーミーダー!!!(たぶん、拭いてくれというアピール)」って泣いてたんですけど、そんな姿とか。
(あ、今も継続中で、最近は「なんで涙拭いてくれないのーーー!!!」とキレながら泣いてます(笑))
今見ると、そんな姿が可愛くて、愛しくて。本当に残しておいて良かったーって思います。
泣いているわが子を前に、自分の気持ちに冷静さを取り戻す意味でも、1度、カメラのフィルターを通して、その姿を見てみませんか?
2.課題の分離
私自身が、まさにそうだったんですが、特に初めての子供だと、生まれてすぐのときから、泣けば抱っこし、泣けば授乳しと、構ってあげることに慣れ過ぎて、
なかなか泣いていることを放置しづらかったりするんですよね。
でも、2,3歳時の(大人にとっては)理不尽な泣きわめき、愚図りに、イチイチ対応していたら、それこそ精神的にまいってしまうと思います。
本当に悲しいとき、辛いとき、痛いときの涙には、寄り添ってあげるべきだと思いますが、ただのイヤイヤなら、その子の感情に巻き込まれず、そばにいるんだけれども、感覚的に少し放っておくことにチャレンジしてみてください。
家事をして相手にしないとか、映像に残してみるとか、軽い感じで返事しておくとか。
少し前にベストセラーになった『嫌われる勇気』という本で、日本でも広く知られるようになったアドラー心理学。
このアドラー心理学の考え方の1つに「課題の分離」という考え方があります。
アドラー心理学にも、子育てに活かせる考え方がいっぱいなので、また折を見つけて書きたいなぁと思っていますが、
この「課題の分離」という考え方では、問題に直面したとき、これは「自分の課題」なのか、「他者(子供)の課題」なのかということを分けて考えるのです。
そういう意味で、イヤイヤ期を考えてみると、このイヤイヤ期の子供にどう対応していくか?というところは、私たち親の課題なのですが、この「イヤイヤの時期」を乗り越えて成長していくというのは、子供自身の課題なんですよね。
そもそも、このイヤイヤの原因は何なのかというと、脳の中で、感情や欲求を制御・抑制する機能を担う前頭前野という領域が未発達なことによると言われているんです。
(20歳ごろに、ようやく完成するそうです。)
それを知ってから、私は、イヤイヤ期の息子を見る目が変わりました。
以前は、単なるワガママにしか思えなかった息子の泣き叫ぶ姿。
でも、それを、「あぁ息子は、息子なりに、今頑張って成長しようとしてるんだな」って思って見られるようになったのです。
(余裕があるときは、ですけど(^^;)
うちの息子だけでなく、周りの子を見ていても、年中さんくらいでは、まだまだ自分の感情を制御しきれないことも多いですし、眠い時などはイヤイヤ期顔負けのぐずりっぷりです。
ですが、私も慣れてきて、最近は、少し本人が冷静になるまで放置することにしています。
結局そういう状態になっているときは、何を言っても無駄・・・というか、言葉をかけても、火に油を注ぐことになるか、私自身に着火してしまうか。そうなることが目に見えているので、基本的には無視です。
「この状況から自分で落ち着くところまで持っていく力や理性というものを、今、息子は頑張って鍛えているんだなぁ。(←息子の課題)」
そんな風に感じながら、一歩引いて見ています。
(実際、本人も「泣きたくないのにーー!!どうやったら、グズグズじゃなくなるかわかんないのーー!!」って言ってたりしますが(^^;)
それで、自分の課題に取り組んでいた息子が、少し落ち着いてきた頃に、膝にのせて、抱きしめて、背中をさすりながら話をするようにしています。
イヤイヤ期の時期だと、まだここまで自分の力で落ち着くのは難しいので、ピークを過ぎた頃に抱っこしてあげたり、違うことに気を逸らせてあげたりということも必要かもしれません。
今の私だったら、きっとそういう風に接すると思います。
だけど、介入はしすぎない。子供の感情の荒波に、自分まで巻き込まれない。
どんなに小さくても、やっぱり、あなたとお子さんは別の人格で、それぞれ別々の人間なんですよね。
それに、もう生まれたての赤ちゃんとは違うわけです。
だから、例えわが子とはいえ、相手の課題に入り込みすぎないことが、少しずつ大事になってくるのだなぁと、私自身、息子の成長に向き合いながら感じています。
3.大切なことを思い出す
一歩引いてみることが大事。
そうは言っても、そりゃぁ、急いでるときにイヤイヤを連発されたら、イライラもすると思います、それが毎日毎日続いたら、逃げ出したくなることもあると思います。
「一体何の修行?」私もいつもそう思って過ごしてました。
別にイライラしたからダメだとか、そんな自分を責める必要はないと思うんですが、ただ・・・消耗するじゃないですか、イライラすると、気力も体力も。
私はそれが嫌なので、少しでも穏やかに過ごしたいなぁと、時々やっていることがあります。
それは、今の日常が当たり前ではないことを思い出すということです。
つい先日も、豪雨で西日本に大変な被害があり、たくさんの尊い命が失われてしまいましたが、その他にも、地震、事故、病気という様々な理由によって大切な命を奪われてしまった方たちがいます。
イライラに支配されてしまいそうなとき、なんで私ばっかり・・・と、自分が悲劇のヒロインであるかのような気持ちになったとき、
そういう動画やニュースの記事を見ては、今当たり前にあるということが、どれだけ幸せなのかを思い出すようにしています。
今当たり前のようにある毎日も、決して当たり前なんかじゃないんですよね。
災害の多いこの国に生まれて、何度となくそういうことを感じる機会を与えられてきたはずなのに、気づけば忘れてしまうんです。
例え、毎日子供のイヤイヤに付き合ってヘトヘトだったとしても、私たちは、今、ちゃんとこうして生きてて、夜には、子供の可愛い寝顔を見ることができる。
でも、生きたくても生きられなかった人がいる。
笑って、怒って、時には泣きながら、子供の成長を近くでただ見守っていたかったのに、それすら叶わなかった人がいる。
その人たちの命が教えてくれること、そして想いを感じながら。
子育てしてたら、大変なこともいっぱいあるし、自分の未熟さが嫌になる日もいっぱいあるけれど、今、目の前にあるわが子との時間を大切にしていきたいと、私はそう思うのです。
最後までお読みいただいて、ありがとうございました。