北鎌倉寺巡りがやめられない。
北鎌倉の東慶寺にとても美しい観音様がいる。それはとても幻想的で、背景の情景さえもが浮かぶような雰囲気を醸し出しているのだった・・(写真は東慶寺で購入したポストカードより)
神奈川県の北鎌倉駅で下車。段差のない改札、少し懐かしい感じがする。
鎌倉駅前と比較すれば閑散としているように見えるかもしれないが、北鎌倉駅周辺もなかなか趣があって面白い。
鎌倉には大小色んなお寺が密集しており、どの地域に行くか先に決めておかないと目移りしてしまってなかなか捗らない。
私は北鎌倉から鎌倉まで歩くコースが好きなのだが、時間があればのんびり一つにとどまりたいのだが、いつも行くときは欲張ってしまうこともしばしば。
今回は北鎌倉駅から歩いてすぐにある「東慶寺」について
じっくりそのお寺を感じてみようと思う。
神社は神様を祀っているが、お寺では仏様を祀っている。仏様は我々のご先祖様をどんどんたどっていけば最終的には仏様につながっていくと思うので、少し身近な感じもしている。
お賽銭を入れてそっと手を合わせ目を閉じる。その時、人は何を考えているのだろうか。
自分自身のお願い事や決意を語ったり、感謝を述べたり、誰かのために祈ったり。
決まりはないが、その時、何かしらの思いを込めているのは確かだ。
人の生み出した念を仏様が聞き届けてくれる。そんな仏様も悟りを開いていたり、開こうとしていたりと、修行の身だったりする。
そして、目には見えない仏様を具現化したものがまさに仏像だ。偶像崇拝とはいうものの、ただご利益だけにあやかりたいとか、すがりたいというわけではなく、その慈悲深い顔は仏師の思いと長い歴史の中、日々人々に祈られてきたからこその存在感ではないだろうか。
・観音様について
・東慶寺について
・予約して拝観 水月観音について
・境内奥の墓苑
・拝観案内・アクセス
・観音様について
「観音様」と言われてパッと何が浮かぶだろうか。私は観音巡りをしていたが、初めから理解はできていなかったなと感じる。何となく分かってきたのは、あちこちで仏様に手を合わすようになってからだ。
そして秘仏などであれば直接拝見することも出来ないのだが、見えなくても扉の向こう側には確かにそこにいる。そしてそれを想像して拝む。
そうしていくうちに、だんだんと観音様を前にすると優しい気持ちになったり感謝したくなっていったのかもしれない。
仏像でいう観音様の分類
悟りを開いた仏さまを「如来」とよぶ。如来はすでに悟りを開いているので、ある意味欲がないということだろうか。特には身に付けているものに装飾はなく、布のようなものをまとった仏像がそれで「釈迦如来」とか「阿弥陀如来」などが該当する。
いわゆる「大仏」と呼ばれる仏像をイメージすると分かりやすいかもしれない。
その如来を目指して悟りを求めて日々修行しているのが「菩薩」であり、そのうち「観音様」と呼ばれる存在はこの菩薩「聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)」のことだ。
聖観音菩薩が衆生(しゅじょう)のあらゆる願いを叶えるために33の姿に変化して(千手観音とか十一面観音とか)我々を救ってくれるということなのだそうだ。(このように変化することを、三十三応現身(おうげんしん)と言うのだそう)
とてもありがたいことだと思う。
身なりは基本、如来とは違ってまだ修行の身なので、きらびやかな装飾品をまとっている。
ここ東慶寺には聖観音菩薩である「観音菩薩立像」が松岡宝蔵に展示されているそうだ。
・東慶寺について
私がこのお寺を訪れるきっかけとなったのは「鎌倉三十三観音霊場」の第32番札所でもあったからだった。
入り口は広く、境内も墓苑も入れてとてもゆったりしていた。
女人救済の駆け込み寺
現在は男僧の寺だが1902年までは尼寺だったそうだ。
女性から離縁できなかった時代の救いの場、縁切りできる女人救済の駆け込み寺だった東慶寺を、開山して建立したのは北条時宗の夫人で貞時の母にあたる覚山尼(かくさんに)という女性。
当時の様子は分からないが、思いつめた女性がやっとの思いで出向いたのではないかと思った。
これは明治の時代になるまで600年ほど続いたというのだからとても歴史深い。
そして、縁切りの法が廃止され、ここは禅寺となった。
禅寺として開山したのは釈宗演禅師。この釈宗演禅師は東慶寺や円覚寺にも携わり、禅を「ZEN」として海外に広めた方なのだ。
門下には禅の本を英訳して広めた「鈴木大拙」さんもいる。
鈴木大拙さんは禅を海外の人々に伝えるために禅について英訳したり、逆に英訳したものをさらに和訳したり分かりやすく禅を伝えようと活動された方だ。私も彼の本を読んだことがあるが(もちろん和訳版)、禅を分かりやすく海外に発信するため、海外の宗教を例に述べていたり、同じ言葉でも文化の違いで解釈が異なることに関しても、その文化に触れながらわかりやすく表現されているところが面白かった。
同じ1つの教えも、それぞれの文化にあった進化のような背景があるとわかると、また伝来した仏教の国と国との違いにも気づきとても興味深い。
なので東慶寺の裏山には「松ヶ丘文庫」という文庫があり、禅文化を世界に広げた鈴木大拙さんとそれに賛同した方々がまさにこの鎌倉の地で仏教研究をされていた軌跡が残されている。そのには貴重な仏教に関する専門図書もたくさん保管されている。
通常一般には公開されていないようなのだが、いつか機会があれば行ってみたい。
・禅の世界を体験できる
ここでは通常の拝観以外にも、坐禅会、写経、体験香道に体験茶道、挿し花など、禅の世界が体験できる。習うには勇気がいるかもしれないが「体験」と付いていると気軽に足を踏み入れることが出来るところが有難い。
その世界に触れてみたくても敷居が高いとイメージで食わず嫌いをしてしまうのはもったいない。
事前予約が必要なものもあれば、予約しなくても参加できるものもあるようだ。ご興味があれば、事前に予約して参加してみるといいかもしれない。
そういう私もこのお寺自体ではまだ体験していない。個人的には、体験香道が気になった。
・予約して拝観 水月観音について
椅子に座るように岩に身をゆだねた状態で、水面に映った月を見る姿といわれている水月観音。左足は下げ、右足を左足のももの上にのせて座っている半分あぐらのようなスタイルの半跏像。県の指定文化財で13世紀のものと言われている。
自分も実際に数年前に予約して拝観した時のことを少しだけ回想してみる。
水月観音 拝観の回想
まずは時間通りに遅刻しないよう集合。自分たちの他にもう一組いた。時間となり「水月堂」に案内される。
部屋に入ると、実際は思ったより小さい観音様だった。大きさは34cm。
じっくり穴が開くほど見た。それでも見れば見るほどとても繊細で髪飾りや布の自然な流れる動きや表情のやさしさに惹きつけられる。
しばらく皆でため息交じりにじっくり見ていると
「光の加減でまた見え方が違うのですよ」
とご案内の方が部屋の電気を消してくれた。・・確かに!!
電気がついていた時は上からの光が一番強いので影の部分もはっきりしている印象だった。しかし電気を消してみると、光源の位置は外からの光のみとなり、全体的に淡い印象となった。光の位置が変わるので、陰影も変わり表情が変わった!
中国の水墨画に多い構図なのだそうだが、本当に絵から出てきたような、ますます幻想的な雰囲気となった。
百聞は一見に如かず。私が表現しきれるものではないので、これは機会があれば見ていただけるといいのではと思う。
境内奥の墓苑
せっかくこのお寺に来たのであれば、その先にある墓苑も見どころである。ここのお寺のお墓は著名人もたくさん眠っている。
尼寺から禅寺になってからは、こちらの高徳な師を求めて、居士や哲学者、政財界の方々も門下に入っていたという名残があるのだろう。
木々の木漏れ日を楽しみながら墓苑を散歩すると、思いがけない方のお墓にご挨拶できるかもしれない。
私も何回か訪れた時は、岩波書店創設者の岩波茂雄さんのお墓を拝見したものだ。と言うのも、当時は今よりも無知だったこともあり、私の中ではまだ他の方が著名と知らなかったというのもある。
むしろあの、鈴木大拙さんが東慶寺に眠っていると今更ながら知り、ぜひ馳せ参じたいと、また近々参拝予定を立てようと思っているくらいだ。ちなみに東慶寺には、出光興産(株)の創設者の出光佐三さんのお墓もあるのだが、ご自身の希望で鈴木大拙さんの隣に分骨されたそうだ。このお寺で禅を学んだ者たちのつながりが温かい。次に訪れたときはそのような視点からも色々見て回りたい。
・拝観案内 アクセス
TEL 0467-22-1663
JR横須賀線 北鎌倉駅から徒歩4分
【拝観料】
大人200円/小・中学生100円
【拝観時間】
通常 8:30〜16:30(10月〜3月 16:00)
【松岡宝蔵 特別展入館料】
100円
【水月観音半跏像 特別拝観 ★要予約】
東慶寺の「水月堂」に祀られている観音様を拝観希望の場合は、事前予約が必要。
拝観希望日時、氏名、拝観人数、電話番号等お伝えして予約する。
[時間] 1日2回 9:30~、14:30~ (※12/31~1/3はお休み)
[特別拝観料] 1人につき300円(未就学児無料)
※水月堂内は撮影禁止 他、ホームページをご参照ください
https://www.tokeiji.com/suigetsu-haikan/
(松岡山 東慶寺 ホームページより)
・東慶寺を後に
以前は女性が救済を求めて行った駆け込み寺だった東慶寺も、現在はとても穏やかな雰囲気だった。
それは社会のルールが変わって女性も行きやすい世の中になったからなのかもしれない。
歴史や昔からの様子は変われど、ここのゆったりとした空間はそのままであって欲しいと感じた。
今回資料館などにはいっていないため、詳しい歴史や資料については触れてはいないが、ホームページも充実しているので、訪れる際はぜひ予習していかれるとより面白いのではないだろうか。