(野村克也著『敵は我に在り』新装版上巻)

【毎週1冊、野村克也氏の著書を徹底的にレビューしていく企画。今回はノムさんの現役引退後初の著作「敵は我に在り」を語ります^^――記事の最後に自称野村マニアの私が独自に採点。38年の時空を超えた得点がでました】

先週はノムさんの最新刊「手紙」をレビューしました。
今週はグッとさかのぼってノムさんの現役引退後初の著作「敵は我に在り」を語ります。
1980年に刊行された「幻の名著」といわれる本。
実は私が野村ファンになったのは、この本を偶然、図書館で見つけて
一気に読んでしまった(!)ことがきっかけなのでした。
時は92年からの野村ヤクルト黄金期。いま復刻版を読み返してもやはり「若い」ころの
ノムさんも面白いものがありました。

ノムさん大好きな月見草パパです。私が10回以上は読んでは泣いた「敵は我に在り」
面白いところを紹介します^^。

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●若いノムさんがそばで語ってくれるような本

「敵は我に在り」上巻は、ノムさんの現役引退時に出版された本です
(続く現在の下巻の内容はその2年後の1982年に解説者の視点から書かれたものです)。

3000試合出場という前人未到の大記録(現在でも日本プロ野球界には
野村克也さんとその後に到達した元横浜、中日選手の谷繫元信さんの二人しかいません
を作ったノムさんの現役最後の時期に考えたこと、
自分も現役時代を振り返って野球を見る目、野球にたいする姿勢を総括的に書いた名著です。

この本は、ノムさんの本にしてはめずらしく(と思う。)、「ですます」調で書いています。
それがまたご本人がそばで丁寧に話してくれているように、とっても読みやすく
わかりやすく語られています。そんなノムさんの優しさと、これだけは言わねばという
「野村節」もしっかりあります。

1980年に書かれたということで、江川投手など当時の大物の記憶が新鮮に語られている
ことも面白さです。

また、1972年から46年にわたった「ドカベン」の連載をこの6月に最終回として完結させた
漫画家の水島新司さんとノムさんの当時の麻雀のエピソードなど、サービス精神旺盛な
とっておきの話もたくさんの野球ファンにはたまらないものが多くあります。

あぶさんの聴牌タバコ
麻雀をやると、・・・「クセ」もまた、それぞれなのです。「ドカベン」「あぶさん」など、野球ものの人気漫画家、水島新司さんとは・・・楽しい麻雀仲間です。・・・
水島さんほど、愉快な麻雀も珍しい。・・・大変なヘビースモーカーで、タバコにはいつも火がついている。このタバコで、する水島さんの聴牌がわかってしまいます。・・・
突然ヒョイと取り上げてスパスパやり出す。これが、危険信号です。・・・「先生、聴牌でしょ?」「ウン、エッ?イヤ、まあ…」「とぼけても、あきまへん。顔に書いてありますで」・・・
ところが、もっと危険なときがある。灰皿のタバコを無視して、新しいのをくわえて火をつけるときです。こういうときは、門前清一か、役満貫の聴牌近しです。・・・
江夏豊はピッチング同様にキメが細かい。・・・黙ったまま、終始ペースは変わらない。牌の読みも相当なもので七対子の単騎待ちなどをやらせると・・・見事(『敵は我にあり』新装版上巻P71-74より)

 

●「選手を全うした」次に向かう気持ちが熱い

この本は冒頭に「三千試合を達成した日」という節から始まります。
仲間やファンから祝福されることを喜ぶとともに何となく釈然としない。そのときノムさんは、
だれかから聞いかも忘れたある言葉をかみしめたといいます。

人間、いつでも挑戦することを忘れるな
――いつも山の向こうに見えた新しい山が、二十七年間にわたる
野球選手としての私を支えてくれました(『敵は我にあり』p13より)

 

そして、新しい山の「登山口」をみつけることはできないけど、“登る”ことは、
人間としてやめられない。また次の「山脈」へのアタックがつづくと思うと語ります。
偉業をなしとげたからこそ、そこからまた見据える熱いものが伝わります。

ノムさんは、この歳からあらためて中国古典など文章の猛勉強をして、自分の野球論を
人に伝える努力を積み、野球評論家・解説者となり、言葉でわかりやすくファンに野球を
伝える「山脈」にのぼりはじめたのです。

その後はご承知の通りでヤクルト、阪神、楽天といったプロ野球監督、社会人野球の
シダックス監督なども歴任され、つい先日83歳のお誕生日を迎えられ、いまもコラムの
執筆や野球の解説をされていて元気です。

私自身50歳前。1980年のノムさんの決意とその後に現実に見せていただいた活躍を
知って、高い理想が現実をつくるのだと伝えられています。

(コラム)知的なのに相手を和ませるノムさん
あるテレビ番組(ちちんぷいぷい 2012年8月29日放送回)で当時77歳だったノムさんへのインタビューを見ました。大阪で西靖アナウンサーのインタビューを受けたノムさんは「(3000試合)そんなでてんの?」「一年130試合。10年で?」(アナウンサーが「1300」)「まだ足りない」「20年で?2600まだ足りない。ようけやったもんだね」と、とぼけ半分で場を和ませていました。また、40代で独身という西アナに「恋愛をしないといい放送はできないよ」と野村節も。
番組のいろんなコメンテーターが「もっとこわい人かと思ったいら、何を聞いても丁寧に答えてくれて、すごくやさしいおじいさんでした」など話していました。

(野村克也著『敵は我に在り』新装版上巻)

【この新装版がでた2008年は楽天監督時代。元気に楽しそうに話をされている写真が印象的です】

●「野村再生工場」の源流

ノムさんは現役引退時にすでに監督を経験しています。南海ホークスで選手兼監督の
時代があったからです。

そこで、巨人から移籍してきた山内投手の特性を見抜いて、
速球ではなく変化球で勝負をアドバイスして見事復活をとげたエピソードなど、
「野村再生工場」の実体験のエピソードを語ります。

「野村再生工場」という言葉が1980年には定着していたことに驚きました。
その核心は、「磨けば光る」素材を見つけて、それを気づかせて、理論として考えさせて、
変わることをもとめるものだと思います。

他チームや周りのコーチなどの評価が低くなった一見“下り坂”の選手をみるみる再生させる話、
個性を光らせて一流にする話は、ご承知のとおり、
ヤクルト、阪神、楽天でも次々と発揮されていきました。

この本では、南海時代の山内新一投手、福士敬章投手、江本武則投手の例で、
その源流を知ることができます。

(野村克也著『敵は我に在り』新装版上巻)

【1980年にすでに「野村再生工場」という言葉があったことは今回の大発見でした。再生工場はその後、21世紀となってからも次々と力を発揮していきます】

●自分を大切にするということ

「野村再生工場」がいかにして作られたのか。その土台には、選手時代のノムさん自身が
努力で変化・成長してきた確信があるのだと思います。
終章に近いところで「うまくなろうとする心」という節があります。

一日に一回でも多く練習すれば、一年間で三百六十五回も多くなる。そう考えて、一日一日を過ごしてきました。
そう願う気持ちは、選手として、あるいは人間として最低限、必要な「欲望」でしょう。ところが、最近の若い選手が、そんな気持ちを抱いているかどうか、疑問に思うことが多いのです。・・・自分を愛するということは、自分を大切にすることでしょう。人のことはどうでもいいというわけではなく、自分を安っぽく取り扱わないことです。
「ボクにはとても、できませんよ」というのは、自分で自分を低く評価していることなのです。つまり安っぽく扱っている。自分を愛し大切にするということは、自分の中身を良くし内容を高めてゆくことなのです。・・・人より歩みはゆっくりだったが、気がついてみると、思いがけず遠くまで歩けていた。一生懸命、磨きをかけてきました。それを若い人にもしてほしいと願うのですが、欲張りでしょうか(『敵は我に在り』新装版上巻p217-219)

 

ここには、めざす自分があるのならば、そこに向けて自分の中身を高めてゆこう
それが自分を愛して大切にすることなのだという現役を終えたばかりのノムさんの
若い人たちへのメッセージがこめられています。

ノムさんの話が面白くて、若い人にも伝わるのは
こういう精神をもっていらっしゃるからなのだろうなとあらためて気づきました。

私自身、「自分には無理です」とか言いそうなときに、「本当に無理なのか?
自分を安っぽく扱っていないかな?」とよく、この本のノムさんのメッセージ
振り返っています。

(野村克也著『敵は我に在り』新装版上巻)

【「一九八〇年に刊行された」の文字に重みと驚き。ノムさんブレてないですね。タイムマシン気分で読みました】

<文献データ>

「敵は我に在り 新装版 上巻」ワニ文庫 2008年3月初版 原著は1980年刊行

【===月見草パパの採点=== 96点

「野村再生工場」、「江夏の21球をどう見たか」などエピソードは野球ファンにはたまらないものがあります。文章でも紹介した「自分を大切にするということ」は正統派な「ボヤキ」といっていいでしょうが、まだまだ若いノムさんに「毒」は少ない印象です。「八つほめて二つ教える」「具体的指示を与えるためには、一つのことを選ばなければならない」など、より現役に近い名言も豊富で、源流から現在の83歳のノムさんまで、ブレがないことがよくわかり、あらためて野村克也さんへの信頼が強まり、また大好きになりました。

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