あなたのお願い事はなんですか。
私のお願い事は・・
鎌倉三十三観音巡り最後の札所【佛日庵】へ

御朱印はあちこちで頂くことも出来るが、三十三観音巡りというのは、その決められた観音様を全て周りきることでお願いが叶うという、願掛けのような存在でもあると聞いた。
お百度詣りとかも、その類だろうか。

私はとりわけお願い事があったわけではないのだが、たまたまテレビで鎌倉の三十三観音巡りの番組を見て、一瞬で魅力を感じた。
それまで御朱印も知っていたし、友人が集めていたがその時はなんとも思わなかった。
やはりタイミングってあると思う。

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動機としては、鎌倉の色んなお寺に行ってみたいし、あのバラバラと広がる御朱印帳が溜まったらなんだか魔法が使えそう!(笑)
みたいな、はじめは本当にとても軽い気持ちだったと思う。

「御朱印巡りをしてみたい」

今ではすっかり慣れたが、一番初めはそれだけでも「どうしようかな、やってみたいけど・・」なんて躊躇していたことが懐かしい。
誰だってはじめはいつでも初心者。でも初めの一歩を踏み出さなければいつまでたっても始まらない。

それはとても小さなことかもしれないけれど、あの時勇気を出して初めの一歩を踏み出したからこそ、今があるといっても過言ではない。

そして、それまで家に仏壇もなく、何かに手を合わせて拝む事が日常になかった私は少しずつ神仏に手を合わせることは自分と向き合うことにもつながり、感謝をする機会を与えてくれるものとなり、参拝の回数を重ね、気持ちや考え方もだんだんと変わっていった気がする。

昔の御朱印の位置付けとしては、納経と引き換えに御朱印を頂いていたわけだから、今は本当に簡単に貰えてしまうので、本来の有難味がきちんと受け止められているか、自分に問うてみると重みとしては少し薄いのかもしれないとも思う。
だが、そのお陰で我々も改めて寺院に興味を持ってお参り出来る機会が与えられ、以前に比べて神社やお寺を身近に感じている人は増えているのではないだろうかとひしひしと感じる。

それは仏像展などに行った時にも感じて、以前より老若男女問わず人がたくさん鑑賞しに来ていたことからも言えよう。
そういう私もその輩の一人だからなおさら実感する。
本当にありがたい機会をいただいているということを。

感謝の意を込めてお参りしていくと、身近な祈りは食事をする際に「いただきます」「ごちそうさま」をしていたな、とあらためて気づく。
色んなものの命や人の手を借りて出てきた食卓の食べ物に感謝することから、案外お祈りの機会も見過ごしているだけで実はたくさんあるのかもしれないと思った。
とは言え「いただきます」などと手を合わせるようになったのも、文化によるものだったりもするそうだが。
そして改めて、以前はそんなことすらも考えなかったなぁと思いにふける。

今回は私と1つの御朱印帳が満たされた日のことを思い出すことにした。

・鎌倉三十三観音巡り

鎌倉三十三観音霊場巡りはその名の通り、鎌倉の決められたお寺にいらっしゃる各観音様にご挨拶とお祈りをして巡るその際に、御朱印帳に参詣した証として墨や朱印等で記してくれる契りのようなものだ。
ちなみに私の鎌倉三十三観音の御朱印巡りが一通り終わるまで約3年かかった。

1番札所の杉本寺から始めたのだが、やはり1番から始める人が多いので、「御朱印帳」も置いてあるし、私のような初心者には始めやすい。
またここ鎌倉の三十三観音巡りは、1番札所から始めると「発願」の朱印を押してもらえると聞いて、それはぜひ!と思い、鎌倉最古の寺といわれるこのさわやかな杉本寺から始めることにしたのだった。

そして、、
今回私の観音様巡りは無事に最後のお寺「佛日庵」へとつながった。
なんでも物事には終わりがくる。始めた時の期待感。人は結果を求めてしまう生き物。色んなお寺を参拝出来るのは毎回清々しいものだったが、まだこんなにある!と思う瞬間ももちろんあった(笑)

大雨の日や暑い夏の日、寒い冬の日。一度にたくさん行って見たり、一ヶ所でやめてみたり。季節も巡って楽しんだ。
そして、それまではまだかなまだかな?と待っていたことにも、始まりがあればいずれ必ず終わりがくる。

この瞬間はやはり名残惜しくもなるのもだ。
終わりが近づくにつれて、改めて最後の方は大切にお参りしたりした。
今回は本当の本当に最後なのだ。

・佛日庵

鎌倉三十三観音巡りの33番目の札所は、円覚寺の境内の中にある(円覚寺塔頭)「佛日庵」というお寺である。
歴史としては、北条時宗の廟所として創建されたお寺ということ。文化人にもゆかりあるお寺だ。
ここは北鎌倉駅から目と鼻の先の距離だというのに、最後に参拝するため、何度も素通りして、なかなか行く事ができなかった土地。やっとやっと訪れることができた。
円覚寺に入ると境内の中にはいくつか小さなお寺やお堂がある。それらも参拝しながら奥へと進んで行くと、少し囲われた「佛日庵」が現れる。

円覚寺の中もゆったりした空間だが、またここは門をくぐって違う世界が広がる。
拝観料を払いお線香をいただく。そわそわしながらもまずはお参り。
「無事にここまでくることが出来ました」
お線香の香りとともに、たくさんの感謝が湧いてありがたいと感じた。

・御朱印をいただく

入り口と同じ受付の場所で御朱印はいただける。
ここではもちろん三十三観音巡りの途中でも御朱印自体はいただけるが、33札所すべて回らないと押して頂けない朱印がある。
それが「結願」だ!

受付の方が御朱印帳をパラパラとめくって、中身を確かめる。
33札所を回ったことを確認できると
「ご苦労さまです!!」
なんて声をかけられた気がするなぁ。

その時に御朱印帳を書いていただく様子を見て、その想いは高揚とはまた違う達成感のような、仏様にご縁をいただけたような、とてもじんわりして心にに響くものだった。
これは普通に回っていたのではいただけない。形ばかりにこだわる訳ではないが、嬉しいものは嬉しかったのだ。
なのでぜひ、鎌倉で三十三観音巡りをする際は、他の順番はなんでも構わないから(笑)、始めと終わりは1番で始まり33番で終わるようにすることをお勧めする。
ちなみに33番札所の観音様は時宗廟におり、その作りは木造十一面観音坐像。中には入れないが遠目で眺めて参拝するのもまたいい。

・境内の様子

境内は全体が日本庭園にあるお茶会のような雰囲気で、赤い毛氈(もうせん)が敷かれた長椅子、野点傘(のだてがさ)なども立ててあり、風情がある空間だ。
そこでお抹茶も楽しむことが出来る。抹茶に添えられた落雁は鳩サブレーで有名な豊島屋のかわいい鳩の落雁となっている。(可愛くておいしい!)

時間があるなら抹茶でも飲みながら、ゆっくり腰掛けてこの空間を楽しむといい。
私もイスに座ってこれまでの押していただいた御朱印を眺めたり、周りを眺めてみたりしてみて、普段よりゆっくり流れる時を感じることができた。

・本堂

本堂には鎌倉地蔵霊場14番札所の「本尊木造地蔵菩薩坐像」や、「佛日庵公物目録」という中国から日本への文化や歴史に重要な資料もある。お地蔵さまも優しい顔立ちで安心感に包まれる。

・苔庭

林家木久蔵作の苔庭がある。さりげなく「苔庭 林家木久作」と下に看板があるので、見逃すことはない。いい感じに主張していて面白い(笑)もちろん季節によっても色々と表情を変えるので季節を変えても面白いだろう。

・モクレン

境内に白く咲く大きな「ハクモクレン」は中国の作家魯迅から送られた株だそうだ。そして、大佛次郎の「帰郷」にも紹介されている。
大佛次郎は、横浜と鎌倉を代表する文豪である。

・茶室

境内には茶室「烟足軒」がある。川端康成の「千羽鶴」にも出てくるそうだ。茶室は小さな空間だが、入ってみると意外と広い。

茶室に掛けられた書。「福以徳招」。
「福は徳を以って招く」という意味だそうだ。ひとりひとりの善き行いが自分の幸福につながる、そんな感じだろうか。なんとも平和でやさしい言葉だろう。

その掛け軸を横目に、私は茶室に人が来る気配がはなかったので、おもむろに茶室いっぱいに蛇腹の御朱印を広げてみた(笑)
全ての面に押された御朱印33枚!伸ばすとこんなに長いのか!
これは本当に圧巻だった!
・・そして満足したので、御朱印帳をそっと閉じてそこから何食わぬ顔で立ち去ったのだった(笑)

・アクセス

鎌倉市山ノ内434
臨済宗円覚寺派 円覚寺内 佛日庵
北鎌倉駅より徒歩5分
拝観 9時-16時30分
(11月-3月までは16時まで)
拝観料 円覚寺(大人300円)と別に100円

・終わりに

そういえば鎌倉で御朱印巡りをしていた際、御朱印を書いてくれる方は別のお寺にも出張しているそうで、以前「あら?これ、私が書いた字だわ」と言われたことがあった(笑)
鎌倉を巡る際の、人との巡り合わせにも面白さを感じて、とても嬉しい気持ちになったことを思い出した。

この鎌倉市のように1つの町にこれほどお寺が密集して点在しているのはすごいことだと思う。
密集していることで、参拝するにしてもとても巡りやすい。

私はあれから、鎌倉も含め他の地域でもいくつか御朱印をいただくようになったが、個人的なこだわりがあって、御朱印自体は観音様巡り等、巡るところが決まっているところのみでいただくようにしている。他の神社やお寺で欲しい時は我慢したりして(笑)
でも、それは私にとって心地いい回り方なのでそうしているだけだ。

つまりは決まりはない。もちろん御朱印をいただく際は礼儀を大切に失礼のないようにしつつも、自分流の回り方でぜひ日本の文化に触れて、良きものがいつまでも後世に残る繋がりの1人になっていきたいし、そういう人々が増えたら良いなと思う。
観音様は33の姿を持ち、いつでも私たちのことを見守ってくださる。

仏様のご加護に感謝して、大人になった今だからこそ、自分に素直な行いをしていきたいと感じた。

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