子育てで、子供の行動の意味がわからなくて悩んだり、イライラしたりすることって少なくないですよね。
言葉が話せない赤ちゃんだった頃はもちろん、5歳になった息子を育てている今だって、子供の行動や感性には、いつも驚かされ、戸惑うことも多いです。
特に男の子にいたっては、母親にとっては異性ということもあり、その毎日の行動は謎でしかなかったりします(^^;
なぜ、まっすぐ道を歩けないのか?
なぜ、いつも戦闘モードで、しばしば見えない敵と戦っているのか?
なぜ、やらないでって言われたことを、わざわざやろうとするのか?
なぜ、食事中、目の前にお手拭きがあろうとも、汚れた手を服で拭くのか?
そういうことの連続の日々の中で、私の息子への見方が変わった、子育て以外の人間関係にも活かせるちょっとしたコツを、今日はご紹介したいと思います。
こんにちは。学びママです。連日連夜の子育て、いつも本当にお疲れさまです!!
さて、今日は、私が子育て暗黒期を乗り越えた方法、そして現在の奮闘記を余すところなくお伝えしていくシリーズ「あきらめ子育て論」第20回です。
前回に引き続き、今日も、正しく「あきらめる」ことで、子育てがちょっと楽になった、そんな私の体験談をお届けしていきますね。
◆「あきらめ子育て」って何ぞや?と思われた方は
→《子育てがしんどい時期はいつまで?心が楽になる【あきらめ子育て論】》
1.6秒間の過ごし方
子供の謎すぎる行動にイライラするばかりだった私が変わるきっかけとなったのは、「私、息子のことを分かろうとしているのかな?」という自分自身への問いかけでした。
「息子のことが分からない!!」そう思うことは多かったけれど、果たして、息子の立場に立って、息子の気持ちを分かろうとしたことがあっただろうか?
いつも親としての自分の都合で、「分からない」ことにしていただけで、息子の行動には息子なりの理由があるはずだ。
そう思えるようになってから、息子のひとつひとつの行動へのとらえ方が変わってきた気がします。
もちろん、今でも、「もぉーーーーーっ!!!!」ってなることはありますよ。
でも、心に少し余裕があるときは、この問いかけを意識して、ちょっと考えるようになりました。
そうすると、実際息子がどう思っているかは分からなくても、私自身が息子の行動を温かい目で見られるようになってきたのです。
幼稚園の行き渋りだって、親だけの目でみたら、「ほかの子みたいにすんなり行ってくれたら、どれほど楽か・・・」なんて思ってしまったりもするのですが、
息子が、どれだけ私と一緒にいたいと思ってくれているのか想像すると、それは実はとても嬉しいことだったりもするのです。
ギュッてしてあげたくなるのです。
そうは言っても、毎日一緒に生活してたら、イライラすることだってあります。
だけど、そんなときも、自分へのこの問いかけによって、ひと呼吸おけることは理にかなっているようです。
というのも、怒りという感情をコントロールし(押さえつけるのとは違います!!)、うまく付き合っていくための「アンガーマネジメント」というものがあるのですが、
その中で、怒りという感情のピークは6秒間と言われ、この6秒間を何らかの方法でやり過ごすことの重要性が示されているのです。
そういう意味でも、この問いかけの習慣は、私のイライラの爆発を防いでくれているように思います。
例えば、先に挙げた、目の前にお手拭きがあっても自分の服で手の汚れを拭いてしまう息子について。
洗濯のことを考えると「お願いだから、服で拭かないでくれ~!!」という気持ちはなくならないものの、ちょっとその背景を考えてみました。
赤ちゃんの頃から、自分の手がぬれたり汚れたりすることに、とても神経質だった息子(水でさえ嫌がってました)。
だから、あまり自分から何かを食べようとする子ではなかったのですが、そんな息子が幼稚園になり、誰も手伝ってくれない中、自分でご飯を食べるようになり、手が汚れることも増え・・・
でも、家で食事をするときのようなお手拭きはありません。
じゃぁ、どこでその手を拭くのか?となったときに、目の前にあった選択肢が服だったんだろうなと思います。
そういう中でついた癖が、家庭でも抜けないだけなんですよね。
大人にとっては、1人でご飯を食べるなんて当たり前のことかもしれません。
中には、赤ちゃんの頃からつかみ食べも大好きで、食べさせようとするママの手からスプーンを奪いとって、自分で食べようとする子もいます。
でも、息子にとっては、知らない場所で、いつも一緒にいた母親から何時間も離れるということも、1人でご飯を食べきるということも初めての経験だったのです。
ちょっと大げさかもしれませんが、そんな風に思うと、服で手を拭くという行為でさえ、息子の頑張りと成長の証なんだなと思えてきました。(一応、こっちで拭いて!!とお手拭きは渡しますけど(^^;)
また、息子は、入園と同時に爪かみもするようになりました。
衛生的にも良くないですし、癖が抜けなくなることも心配でしたが、それを注意したり、叱ったりして無理矢理やめさせるのは、違う気がして、あまりうるさくは言いませんでした。
実際、口で注意するよりも、一緒にいる時間の中で、私自身が心の余裕をもって息子に接することができるようになったことの方が、よっぽど効果があったように思います。
入園から1年半がたち、幼稚園に慣れてきたこともあって(それでも、まだ朝のお別れ時には、泣いてしまうこともありますが)、最近では、爪かみもだいぶおさまってきました。
2.自分のために
「相手の立場に立って、相手の気持ちを考える」
子供の頃から、幾度となく耳にしてきた言葉じゃないでしょうか。
でも、実際に、相手の立場に立って、気持ちを想像してみたことがどれほどあっただろうか?と、自分に問いかけます。
そうすると、映画の主人公の気持ちになって一緒に泣いてみたり、相手の喜ぶ姿を想像しながらプレゼントを選んでみたり、そういうことは多々思い出されるのです。
けれど、子育てだったり、誰かに腹を立てたときだったり・・・肝心なところで、自分目線でしか物事を見られなくなっていた自分に気づいたのでした。
「相手の立場に立って考えてみる」
このことは子育てだけじゃなく、すべての人間関係に応用ができます。
例えば、身近な人や、見ず知らずの人から、とても理不尽なことを言われたり、理不尽な態度をとられた経験が、あなたにもあるんじゃないでしょうか?
私にもあります。
私の例でいうと、私は1人でタクシーに乗るのが、あまり得意ではなかったりします。
実際乗ってみると、とても気さくで、感じの良い運転手さんもいっぱいいらっしゃるのですが。
原因は、昔、土地勘のない街で乗ったタクシーの運転手さんの不愛想な対応が、ずっと心のどこかに引っかかっているところにあるのだと思います。
そのタクシーの運転手さんは、終始無言で、降り際も、こちらがお礼を言っても無言という方でした。
ワンメーターとかの距離ではなかったと思うのですが。
そのとき、「なんなんだろ?」と多少腹が立つ気持ちと、消化できない嫌な感じだけが残りました。
でも、もしかしたら、直前にその運転手さんにもすごく嫌なことやすごく悲しいことがあったのかもしれませんよね。
真実は分からないけれど、そんな風に想像してみることは、相手のためというよりは、自分のためにも大事だったりするんです。
夫婦関係にしたってそうです。
我が家では、夫との間で「なんで??」っていう理解できないようなことが、時々(多々?)起きます。
ですが、そういう行動にいたった理由を聞いてみると、夫なりに良かれと思っての行動だったということもありました。
そんな風に、相手の立場を理解しようとすることで、自分自身も喧嘩など、無駄なエネルギーを使わなくて良くなったりします。
子供は、まだまだ自分の気持ちや考えを、うまく言葉にできません。
だから、想像するしかなかったりもするのですが、
泣いていることにも、イタズラをすることにも、癇癪を起してしまうことにも、子供なりの理由があって、そこに至る背景がある。
そういう前提に立って、そういう子供の事情を、「分からない!!」と言ってしまう前に、「分かろうとしているのか?」と自分に問いかけてみること。
なかなか、いつもできることではないかもしれないけれど。
そのことによって、自分自身の心が救われることもあるなと感じています。
最後までお読みいただいて、ありがとうございました。