今回は、逃げ上手の若君の西園寺公宗(さいおんじきんむね)の最後までを史実にもとづいて徹底解説していきます^^  史実では、北条泰家と同じく中先代の乱へとつづくエピソードで欠かせない重要人物が西園寺公宗(さいおんじきんむね)。逃げ上手の若君に登場してくる可能性は高いでしょう!!それでは、西園寺公宗がどのような人物だったのかみていきましょう。

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【西園寺公宗はどのような人物?】

西園寺公宗(さいおんじきんむね)は鎌倉時代後期(かまくらじだいこうき)から南北朝時代(なんぼくちょうじだい)にかけての公卿(くぎょう)( 公家(くげ)の中でも最高幹部として国政を担う職位)でした。むかしは貴族が国政を担当していたのですね。

公宗は朝廷と鎌倉幕府の連絡・調整係である関東申次(かんとうもうしつぎ)をしており鎌倉幕府とつながりがありました。関東申次の役職は鎌倉時代には源頼朝(みなもとのよりとも)一族と婚姻関係のあった西園寺家の当主が世襲(せしゅう)していました。

鎌倉幕府滅亡後その関東申次が廃止されてしまい、公宗は地位の回復のため北条氏残党と連絡をとり、北条高時の弟、時行の叔父である泰家をかくまいました。

二人は後醍醐天皇を暗殺しようとしましたが、計画は事前にばれて失敗してしまいます。泰家は逃げることができましたが、公宗は楠木正成(くすのきまさしげ)、高師直(こうのもろなお)らに捕らえられ処刑されてしまいます。

この計画を密告したのが公宗の異母弟だそうです。むかしは兄弟とはいえ争いもたくさんあったのですね。兄弟で争うなんて悲しいですね。この西園寺公宗の子孫にはのちの内閣総理大臣にもなる西園寺公望(さいおんじきんもち)がいます。政権の反対派から公宗の事件をネタにされていたそうですよ。子孫とはいえ鎌倉時代の話をされても・・・と思いますね。お気の毒です・・・。

【公宗と泰家は後醍醐天皇をなぜ暗殺しようとしたの?】

公宗と泰家が後醍醐天皇の暗殺を計画したのにはそれぞれ理由があります。泰家にとって後醍醐天皇は鎌倉幕府滅亡を計画した張本人ですから鎌倉幕府再興のため亡き者にしようとするのはわかります。

公宗はというと鎌倉幕府滅亡のさいに関東申次の役職が廃止されてしまいその権威回復のためという理由もありますが、そのほかにも理由がありそうです。

この時代天皇家は両統迭立(りょうとうてつりつ)という時代でした。両統迭立とは一国の君主(日本では天皇)がそれぞれの家系から交互に君主を即位させることとあります。

日本では鎌倉時代に大覚寺統(だいかくじとう)と持明院統(じみょういんとう)でおこなわれました。公宗や泰家、主人公の北条時行が生きていた時代はまさに両統迭立がおこなわれていた時代でした。

後醍醐天皇は大覚寺統の天皇でした。しかし西園寺家は持明院統を支持していました。公宗も持明院統を支持していたとなれば、仲の悪かった大覚寺統の後醍醐天皇についていた職を廃止され、力をもてなくなってしまったとすれば後醍醐天皇を亡き者にしようとしたことも考えられなくもありません。

公宗は自身のためだけに後醍醐天皇を暗殺しようとしたのでしょうか?泰家の鎌倉幕府再興のためとかならまだわかりますが、個人的な理由で暗殺を計画していたら、わたしは共感できないな・・・と思ってしまいました。

【後醍醐天皇暗殺計画どのようにして殺そうとしたの?】

公宗と泰家、それぞれ思いは違いますが目的は同じです。後醍醐天皇をどのようにして暗殺しようとしたのでしょうか?

「太平記(たいへいき)」によると

公宗と泰家は後醍醐天皇を公宗の山荘(現在の鹿苑寺)に紅葉鑑賞(もみじかんしょう)に誘い、温泉と酒宴(しゅえん)をすすめます。そして湯殿(ゆどの)の板を1枚ふめば落ちるようにして、その下には刀の束をたてておいて天皇をそこに落として殺そうという計画でした。

しかしこのような大胆な計画はうまくいきません。後醍醐天皇がみた夢のお告げや、公宗の異母弟(いぼおとうと)の西園寺公重(さいおんじきんしげ)の密告(みっこく)で失敗に終わります。

暗殺というとわたしは毒殺とか正体がばれないようにこっそり殺す・・・みたいなイメージがありましたが、こんなに堂々と殺そうとする計画を立てるのだなとおどろきました。

暗殺計画が失敗に終わり、公宗は楠木正成、高師直に捕らえられ出雲国(いずものくに)へ流される途中で処刑されてしまいます。

公卿で処刑をされたのは平安時代(へいあんじだい)に源義朝(みなもとのよしとも)と平治の乱(へいじのらん)をおこし、平清盛(たいらのきよもり)に敗れて処刑された藤原信頼(ふじわらののぶより)以来の出来事だそうです。

時行の叔父である泰家はすばやく逃げてゆくえをくらまし、のちに鎌倉幕府再興のため挙兵します。本誌の主人公、時行の逃げ上手は叔父ゆずりなのではと思わせられます。

【まとめ】

つぎに本誌に登場する人物は誰?と予想するなかででてきた西園寺公宗。公卿で鎌倉幕府との調整役の関東申次の職に就き、それなりの権力もあったのでしょう。

鎌倉幕府が滅亡し、その職もなくなり両統迭立の時代、自身の支持する持明院統ではなく大覚寺統の後醍醐天皇が政治の中心。公宗はなんとか権力の回復、さらに強化していきたかったのでしょうか。

泰家をかくまい鎌倉幕府再興のために力を尽くした人物だったのかな?と思いましたが少し違うような気がします。

後醍醐天皇の暗殺計画も弟の密告で失敗に終わり、最後は処刑されてしまうというなんとなくかわいそうだなという気もしますが。

本誌に登場しても「頼もしい味方!」として出てくるかな?と疑問がわく人物でした・・・。でもそこは乱世の時代、裏切り寝返りがあたりまえだった時代です。

松井先生の作品ですし、味方としても純粋に力になってくれる人物だけが登場してくるわけではないかもしれません。鎌倉幕府再興のためという目的がないものが味方側としてでてくるのもまたおもしろいかもしれません。今後の展開が楽しみですね。

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