ジャンプ本誌では中山庄での戦いがつづいていますが、本誌でも弧次郎がいっているように中先代の乱まであと1年半となっています。これからどのような人物が仲間にくわわるのか、味方につくのか予想していくなかでこの人物は登場するのではないかと思うのが「北条泰家(ほうじょうやすいえ)」です。時行の父、「北条高時(ほうじょうたかとき)」の弟。主人公、時行の叔父にあたる人物です。泰家とはどのような人物だったのかみていきましょう。

 

 

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時行の叔父「北条泰家」はどのような人物?

北条泰家は(ほうじょうやすいえ)は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての北条氏一族で時行の父北条高時(ほうじょうたかとき)の弟です。時行の叔父さんですね。鎌倉幕府に反旗をひるがえした足利尊氏(あしかがたかうじ)とともに侵攻してきた新田義貞(にったよしさだ)の軍に大敗してしまいました。(分倍河原の戦い(ぶばいがわらのたたかい))鎌倉幕府滅亡のさいは、兄の高時とは行動を共にせず、時行を逃がしたあと自身も陸奥国(むつのくに)に落ち延びたとあります。

時行の父高時から諏訪頼重(すわよりしげ)は時行を頼まれたと作中でありますが、泰家の力もあったと史実にあります。作中で頼重の言っていた「あるお方」は泰家なのかもしれません。

泰家は陸奥国に落ち延びたのち京都にはいります。鎌倉幕府としたしく付き合いのあった西園寺公宗(さいおんじきんむね)にかくまわれ公宗と後醍醐天皇暗殺(ごだいごてんのうあんさつ)を計画します。しかし事前に計画がばれてしまい公宗は処刑されてしまいます。泰家は追ってからのがれ北条氏の残党に蜂起(ほうき)をうながし、これに呼応した時行、諏訪頼重らが中先代の乱(なかせんだいのらん)を起こします。泰家も北条氏の一族と信濃国(しなののくに)で挙兵し信濃守護(しなのしゅご)の小笠原貞宗らと戦いますがその後の消息は不明だそうです。

時行にとっては一族、家臣たち近しい人たちが皆死んでしまったとおもっているなか、叔父である泰家が生きていたと知ったらとてもうれしかったでしょうし、頼もしかったでしょう。鎌倉幕府再興に希望がもてたのではないでしょうか。

 

新田義貞と戦った分倍河原の戦い

 

「逃げ上手の若君」では鎌倉幕府滅亡はあっという間に描かれ、幕府が滅亡するまでの反幕府側との戦いは描かれていません。作中では足利尊氏が挙兵してからわずか二十四日で鎌倉幕府は滅亡したと書かれていますが、その間でも両者ではげしい戦いがおこなわれていたのですね。

分倍河原の戦い(ぶばいがわらのたたかい)は鎌倉幕府に反旗をひるがえした新田義貞ひきいる反幕府軍勢と、北条泰家ひきいる幕府勢との戦いです。

新田義貞が挙兵したときの軍はわずか150騎ばかりだったといいます。それがじょじょにふえていき、鎌倉幕府に不満をもった武士たちがあつまり軍は20万をこえる人数になったといいます。

新田軍は幕府軍を次々と破り鎌倉にちかづいていきます。そこで幕府側は新田軍をむかえうつべく泰家ひきいる10万の軍勢を派遣し、両軍は分倍河原(ぶばいがわら)で衝突します。

新田軍に敗れた幕府軍に泰家の軍勢がくわわったことを新田義貞は知らなかったそうで、援軍を得た幕府軍のいきおいにおされ、新田軍は敗走することになりました。一時は泰家ひきいる軍が勝っていたのですね。泰家はすぐれた武士だったのでしょう。

このあと幕府軍は新田軍を追いかけませんでした。様子をみていたそうですがここで新田軍を追撃していたら義貞はそのまま敗れていたかもしれないといわれています。泰家なぜ追わなかったんでしょうね。追っていたらその後のなりゆきもかわっていたかもしれませんね。

新田義貞は敗走したのち、退却も考えていましたが、あらたな軍勢が新田軍にくわわりました。北条氏と近い関係にあった大多和義勝です。やはりこの時代、裏切り、寝返りはつねだったのですね。せつないです。

新田義貞は幕府軍を油断させるために忍びをつかって、幕府側に大多和義勝が幕府側にくわわるというウソの情報をながしました。ゆだんした幕府軍に新田軍は大勢の軍勢で攻めました。ウソの情報に気をゆるませた幕府軍に攻撃をしかけ泰家ひきいる幕府軍は大敗してしまいます。この時代でも情報はだいじだったのですね。真偽をたしかめようにも、調べるすべはあまりなかっただろうし、大多和義勝は北条氏ととてもちかしい氏族だったため、幕府側の味方にくわわるといわれ、疑うこともなかったのかもしれません。

その後なんとか鎌倉に戻った泰家は兄の高時たちとは別行動をしています。幕府滅亡の際には陸奥国に落ち延びました。幕府の中でも中枢にいた泰家が逃げ延びるのは大変だったでしょう。泰家は時行と同じように逃げ上手だったのかもしれません。

 

まとめ

 「逃げ上手の若君」では北条泰家はまだ登場していません。時行が二年後、日本を震撼させる事件というのが中先代の乱ならば、泰家はエピソードに欠かせない人物だと思います。

幕府滅亡後、泰家は陸奥国にのがれ、その後京都に入ります。そこで西園寺公宗(さいおんじきんむね)らとともに後醍醐天皇暗殺を計画したり、その計画が失敗に終わると鎌倉奪還のために北条側の旧幕府軍に蜂起をうながし挙兵します。

信濃国で作中で時行と戦った小笠原貞宗(おがさわらさだむね)と戦ったと史実にあります。その後の消息が不明になっているので生き延びたのか、死んでしまったのか。作中に出てきたらどのような最後になるのでしょう。

作中に登場したら時行のとても頼もしい味方になるでしょう。一緒に戦うというシーンもあるかもしれませんね。本誌登場を心待ちにしています。

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