受験生が夢見る、東大のシンボル「赤門」。
合格して赤門をくぐることが東大受験生の憧れですよね。

東大の赤門は国の重要文化財に指定されている、歴史的価値の高い建造物です。

それにしても、なぜ歴史的な建造物が東大にあるのでしょう。なぜ門は赤いのでしょう?
また、現在は閉鎖されているとも聞きます。

そこで今回は、東大にある赤門の歴史や最寄り駅、閉鎖について調べてみました。

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東大の赤門とは?

赤門とは何?なぜ赤い?

東大の赤門は、加賀藩前田家の江戸上屋敷御守殿(ごしゅでん)の門でした。

加賀藩は江戸時代に加賀、能登、越中の3国の大半を領地とした藩。
その加賀藩の13代藩主・前田斉泰(まえだなりやす)が、1827(文政10)年、江戸幕府11代将軍・徳川家斉(とくがわいえなり)の娘・溶姫を正室に迎えた際に建立された御守殿の門が「赤門」です。

御守殿とは、江戸時代に三位以上の大名に嫁いだ徳川将軍家の姫の敬称で、またはその姫君が住まう屋敷のことを指します。

なぜ御守殿の門は赤いのでしょうか?
それは江戸時代当時の慣習として、将軍家から姫をもらう際には門を赤く塗るというしきたりがあったためです。
そのため、加賀藩前田家は慣習に従って門を赤く塗り、溶姫を迎えたのでした。

東大の赤門は現存する唯一の御守殿門であり、大変歴史的価値の高い建造物となっています。

東大赤門の歴史

赤門は一度建立されると、焼失しても二度と再建されないという慣習がありました。
そのため、前田家は大名火消しによって火事からこの赤門を守っていたそうです。

将軍家の姫君が嫁ぐことによって建てられる赤門は、大名家にとって大変な名誉。
それが朽ちてしまったり焼けてしまったとなれば、これはもうお家の一大事。
前田家は赤門の維持にさぞや苦心したことでしょう。

江戸時代が幕を下ろし、1877年(明治10年)に東大が設立されてから、赤門は東大の管理下になりました。

1903年(明治36年)、医学部の建設によって、元あった場所から現在の場所に移設されたそうです。
その後、戦時中の東京大空襲でも奇跡的に焼失を免れ、1961年(昭和36年)に解体修理をして現在に至っています。

赤門は学生以外の誰もが通ることができるので、学生だけでなく観光客の人気記念撮影スポットにもなっています。
東大の赤門、やっぱり行ってみたいですよね。
学内の生協にはお土産品も売っているので、あわせてぜひ。

ちなみにご存じの方も多いかもしれませんが、赤門は東大本郷キャンパスの正門ではありません。
正門は赤門よりも少し北側になります。

東大の赤門は閉鎖された?

多くの受験生がくぐることを夢見て試験勉強を頑張ってきたであろう東大の赤門。
その赤門は2021年2月12日から閉鎖されています。

閉鎖の理由は耐震性の弱さとのこと。
修復には1~2年、長くて3年かかると見られており、閉鎖解除の見通しは立っていないそうです。

シンボルの赤門をくぐることができず、東大生のモチベーションも下がっていることでしょうね。
早く耐震工事をして、もとのように赤門をくぐれる日が来ることを祈ります。

東大赤門 最寄りの駅はどこ?

赤門の所在地は、東京都文京区本郷7-3-1です。

最寄り駅は、東京メトロ丸ノ内線・都営地下鉄大江戸線「本郷三丁目」駅。ここから徒歩およそ5分です。
また、東京メトロ南北線の場合、「東大前」駅が最寄り駅になり、徒歩およそ10分でアクセスに便利です。

まとめ

今回は東大の赤門について、歴史や赤門が赤い理由、最寄り駅や閉鎖についてご紹介しました。
赤門とは将軍家の姫君を迎え入れるための門だったとは。初めて知りました。

御守殿門ではないのですが、「赤門」と呼ばれる門はあるとのこと。
またほかの「赤門」を探してみても面白そうですね。

耐震性の問題があり残念ながら閉鎖中ですが、歴史ある赤門、補強工事をしてまたくぐれるようになる日が来ますように。