燦々と降り注ぐ太陽の光が皆に平等であると知りながら、それを受け取ることを拒んでいたとしたら。

何かを受け取ることは勇気のいること
何かを受け入れることは優しさがいること

そして
何かを与えられることができるのは・・

こんな人について生きて行きたい!!と、思わせる力がある人の目は何を見ているのだろう。心は、一体何を考えているのだろう。・・私はまだまだついて行くばかり・・(笑)

今回の絵本の主人公「アッシジの聖フランシスコ」は、
何かを与えようとしてこの世界に来たわけではなさそうだ。夢中で自分の信念を貫いたその先で、気が付いたら人が導かれる先頭に立っていたのかもしれない。

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・藤城清治さんがこの本に懸ける思い

アッシジの聖フランシスコを絵本にするために21年かけて創作した藤城清治さん。彼からも、この絵本を通じて私たちに何を伝えようとしているのか、訴えるものはなにかと考えてみます。

表現者のきっかけは自分の絵や作品を「みんなに知ってほしい、見てほしい」、ということから始まるのではないかと思うのですが、表現が深まれば、ただそこに「ある」ものだけではなく創作の過程から生まれるその先の、その奥の、「感じる」部分に響かせるものや共鳴、共振、共感のような、そこに触れることができれば、より相手に浸透させて伝えることができるのではないか、なんて思ったりもするのです。

そんなことを思ったのは、この絵本を表面的に読んだ後に何度も繰り返し読めば読むほど、文章からと劇的な影絵を通して、「何かを伝えたい」という思いがひしひしと伝わってきたような気がしたからです。

この絵本の終わりには藤城清治さんのこの本についての「あとがき」が書いてあります。
今回の最後の方にそこにも少し触れていますが、テーマとしてはやはり「平和」の循環の象徴として、このテーマを取り上げられたように思いました。

今の日本は戦争がなくなり平和であるはずだけど、何か皆不安を抱えて生きているような殺伐としたところもあるように思います。

それはいつの時代にもある「背負うもの」かもしれません。逆に手元にあるはずの平和や幸せが見えてないだけで、本当はすでに持っているものに気づいていないだけなのかもしれません。

そんなふとした「平和であること」と、大切な思いは、この絵本を読むと今に思い出させてくれる、そんな優しい気持ちになりました。

またジャンル的にもこの絵本からは感じ方も受け取り方も色々と湧いてきて自由な解釈ができるとも思います。
読む角度を変えたり何度も読んで、この藤城清治さんの表現を是非とも楽しんで行きたいですね!

では、後半部に突入したいと思います。

前回まではこちら
  感想①序奏編
  感想②光と影と祈り編

・クララとの出会い

この物語には「クララ」という少女の存在も欠かせません。クララだけでもひとつ物語になってしまうでしょう。

クララもまた裕福な家庭で育った少女でしたが、聖フランシスコの説教を聞いて神様に仕え、清貧に過ごす生き方に目覚めた人々のうちの一人となりました。

聖フランシスコに魅せられ、その気持ちを打ち明けると
「欲を捨て祈りのなかに生きなさい」
と言われ・・

大切な家族との生活を捨てて、清貧の生活を送ることを覚悟しました。

(28、29頁より)
この影絵の作品は、まさにその場面なのでしょうか。

後悔も未練も迷いもない。
「やっと会えた」と両手を広げて駆け寄るような、この風にたなびく様子がすべてを吹っ切った瞬間を感じさせます。
周りに咲く小さな花々も素朴でかわいらしいですね。とても幻想的な空間で、この時のすがすがしい気持ちが伝わってきます。

そして、クララは長かった髪を切り落とします。着飾るための髪の毛はもう要らないのです。

こうして聖女クララが生まれました。

(聖女クララの光より(やはり絵本の画質がいいのです!))

まるでお坊さんの出家のよう。ですが、聖母像を前にしたその時のクララはとてもきれいだったのでしょうね。

普通の女の子を想像すれば分かるように、並大抵の覚悟では出来ることではありませんし、わたしにも家族との生活を捨てて、その世界に浸りこむことは、想像できません。
なので彼女の「覚悟」は本当に強いものだったのだと、感じました。

しかしながら、聖フランシスコも若いお嬢さんを預かるわけですからね。もしかしたら始めは断る理由に放った言葉だったのかもしれません。しかし彼女は本物だった。そして同志となっていったのです。
少し違いますが、境遇も聖フランシスコと聖女クララは少し似ていると思いました。もしかするとかつての自分にクララを重ねたこともあったかも知れないな、と色々想像してしまいます!!

彼女は祈りの生活の中でその後「クララ会」という女子修道院もつくられたりして、活動としてもとても貢献された方なのです。

このように読んでいると、ただ裕福な暮らしで、ものに困らない生活だとしても、それだけでは満足することなく、ものが溢れているから裕福だとは言えない、現代にも少し重なるような気もしまして、考えさせられました。

ちなみに、「クララ」は「キアラ」とも呼ばれ、ラテン語で「輝く」とか「光り輝く」という意味もあるそうですよ。
ここで「聖女クララの光」の「光」についても納得してしまいました!

・小鳥への説教

これはアッシジの聖フランシスコのエピソードの中でもとても有名な話です。
説教というと、小言をコンコンと言われるような「親に説教された」「先生に説教された」というニュアンスに聞こえますが、ここで言う説教は、諭すような教えのようなものでしょうかね。それでいうと・・親も先生の説教も教えでしたね(笑)

ちなみに、なんとあの作曲家のリストも「小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ」で曲を作っています!
キラキラとした高音の響くピアノの曲です。小鳥のさえずりをあらわしているのでしょうか。途中に低音が強くなるところは聖フランシスコの説教の部分なのかもしれません。機会があればぜひ聴いてみてくださいね。

そして小鳥たちが理解したのかしないのかは言葉では分かりませんが、小鳥たちは一斉に飛び立った、その姿がまるで十字架の形になったそうです。
この鳥が羽ばたく動作の作品は、藤城清治さんがよく描かれる千羽鶴が羽ばたいた時の慈愛に満ちた雰囲気があり、暖かい祈りを感じました。

「フランシスコは、どんな生きものも、神さまが作ったものとして、大切に慈しみ、兄弟、姉妹として愛しました。」
(35頁引用)

その後、キリストと同じ、聖なる傷あとの「聖痕」が体に刻まれる出来事が起こります。両手両足に釘で刺しぬかれたような跡と、右わき腹に槍でつかれたような跡が出来、それが血でにじんでいるとのことでした。
この場面は伝説の場面でもあり、影絵の色合いには派手さはなく地味目なのですが、とても神聖で勢いのある作品でした。それぞれ聖痕から聖痕へつながっている光の筋も、見る側にとってもパッと視覚に何が行われているのかがわかります。

・太陽の賛歌

いと高い おかたよ
あなたは
ほめたたえられますように
あなたのつくられた
すべてのものとともに
兄弟である太陽は
大いなる光によって 輝きわたり
姉妹である月と星とは
夜の空に
美しくちりばめられています
わたしの主よ
あなたは
ほめたたえられますように
(55頁引用)

自然を心から愛した聖フランシスコが、その自然ををつくられた神さまをほめたたえるために、天に召される前の年につくられた歌です。
ここでの影絵や詩もそうですが「太陽の賛歌」で、太陽が温かく見守ってくれているようでした。

・帰天

聖痕を受けてから聖フランシスコは次第に弱ってしまいましたが、最後にまたアッシジに帰ることができたそうです。
最期のお姿はまるでブッタの涅槃や入滅を彷彿とさせる場面だと感じました。

・平和への祈り

祈ることはただその場で祈り続けるだけではないのだなと聖フランシスコの生きざまをみて感じました。

平和を祈ったとき、いったい誰からの視点で祈るかで立場は全く変わります。
なのでいつでも100パーセント、すべての人間や草木や山々自然が満たされることはありません。
ですが、それでも人が祈るということは・・小さな希望の光を各々持っていてそれを本当は大切にしているからではないでしょうか。
この本を読んで見て、ふとした時に感じる慈愛の心が少しでも優しい気持ちに触れていくのが広がっていったら良いなと私も思いました。

・最後に

3回にわたって絵本、アッシジの聖フランシスコについて書いてみました。
その事で、わたしの中には知り得なかった慈悲深い存在がまた一人増えました。

始めは聖フランシスコの生涯を伝記のように綴られているものだと読み進めていたのですが、よく読んでいくと、1つ1つの話に平和の思いが隠されていて、そのエピソードもやさしい気持ちで読めるものばかりでした。
日本も昔と違って核家族が増え一人暮らしも当たり前になって来たところで、人間関係が希薄になっているところは否めません。
人と関わる事、自分も自分以外にも優しくできること、大切にしていきたいと思います。

「あとがき」には、藤城清治さんがスケッチされた時の写真も載っております。物を見て写し取り、それを影絵で表現されたものを私たちが再度体験できることにあらためて感謝です。

そしてここでは取り上げられなかったお話がいくつもあります。
聖フランシスコが太陽、月、風、水、火、空気、大地を愛していたため、自分に火がついても消そうとしなかったり、エジプトでの出来事だったり、まだまだ興味深いエピソードがありますので、絵本を手にされた際はそちらも楽しんでいただけたらと思います。

最後に絵本の「あとがき」より、藤城清治さんの言葉で締めくくらせていただきます。

21年かけて完成したこの「アッシジの聖フランシスコ」は、ぼくの影絵の人生の集大成といってもいいかもしれない。ぼくも92歳(当時)になり、文字通り生命がけで全身全霊すべての力を注いで描いた作品だ。時代は進んでも現代は21年前以上に聖フランシスコの愛の心を必要としていると思う。この画集が世界中の人々の心の中に聖フランシスコの世界観をよびおこし、美しい平和な世界になるひとつのきっかけになればと願っている。
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