子育ては、時に手抜きをして、適当にやるってことも大事。
そうは言っても、特に第1子、初めての育児となると、色んなことが不安で仕方なく・・「一体どこで手を抜いたらいいの??」「適当って何!?」なんて思うことも少なくないはず。
まぁ、私自身が、
洗濯は赤ちゃん用洗剤で分けて洗い、
産院での指導通り、おむつ替えのたびに手をアルコール消毒し(そして、真っ赤にかぶれる(泣))、
1歳になるまでの離乳食は、ほぼ全部手作り、
自分が39度の高熱を出していてもお風呂には毎日入れる・・・
という今思えば、神経質すぎるくらいの育児をしていたので(^^;
どこまで完璧主義だったんだろうと思うのですが、当時は、そんなことに気づく余裕もなかったのです。
ただ、とにかく、この子の命を守れるのは私しかいないんだ、という責任を強く感じていたことを覚えています。
でも、だんだんと、そんな生活に疲れも溜まってきた頃、夫の単身赴任により、イヤイヤ期男児との2人きりの生活が始まって精神的にも追い詰められ・・・
「どこかで手を抜いていかないと、私潰れるな。」そう思うようになったのです。
(少し身体もしっかりしてきた息子を前に、元々の「めんどくさがり」という私の性分が、だんだんと顔を出してきたとも言えるのですが(^^;)
「じゃぁ、どこから手を抜いていくのか??」それが、私の課題でした。
今日はそんな完璧育児を求めていた時代から、だんだんズボラ母・・・じゃなかった!!「ゆる~く穏やかなママ♡」(笑) になっていった経緯を、手抜きのコツ、大事にすべき基準などの話を交えながら語っていきたいと思います^^
こんにちは。学びママです。連日連夜の子育て、いつも本当にお疲れさまです!!
さて、今日は、私が子育て暗黒期を乗り越えた方法、そして現在の奮闘記を余すところなくお伝えしていくシリーズ「あきらめ子育て論」第4回です。
前回に引き続き、今日も、正しく「あきらめる」ことで、子育てがちょっと楽になった、そんな私の体験談をお届けしていきますね。
◆「あきらめ子育て」って何ぞや?と思われた方は
→《あきらめ子育て論① しんどい心が楽になる「あきらめ子育て」実践記》
1.諦めることから始めよう
この記事にたどり着いて、こうして、今読んでくださっているということは、あなたも私と同じように、完璧主義の育児に疲れて、できることなら「もっと適当に、もっと楽な育児」に変えていきたいという気持ちを持っているのかもしれませんね。
でも、どこから変えていけば良いのか分からない。
そんなときは、まず、諦めることから始めましょう。
そもそも、完璧な育児なんかないし、育児の正解なんて誰にも分からない。
育児書に書いてある正しそうなことすべてを正確にこなすなんて、時間的にも無理。
だから、もう完璧育児なんて諦めてしまおうって。
2.大事な基準
そうやって完璧育児を諦めようって気持ちになることができたら、次はどうやって手を抜いていくかです。
どこから手を抜いていくのか?
そのときに、大事になる基準は「自分が罪悪感を感じなくて良いところから」です。
これが、色々と今まで試行錯誤して、少しでも楽な子育てを模索してきた私の答えです。
なぜか?
ということで、ちょっと脳科学の観点での話になりますが、
例えば、もしあなたが、何か手を抜くことで自分を「ダメな母親だ」「ダメな妻だ」と思ってしまうと、あなたの脳は、「ダメな母」「ダメな妻」であるという証拠の情報を集め始めてしまうんですね。
もちろん、無意識にですけど。
その結果、より自分のダメなところばかりが目に付くようになってしまうのですが・・・そんなの嫌ですよね?
では、それを回避するためには、どうしたら良いかというと「罪悪感を持ってしまう行動」や「自分が自分を嫌いになりそう(自己否定)な行動」は極力減らすというところが重要になるんです。
それがどういう行動なのかは、人によって違います。
「適当にする」「手を抜く」と言っても、人それぞれ、あまり自分を責めることなくできる行為と、これをやったら自分のことが嫌になるなって行為が、違うのです。
例えば、私だったら、楽したいな~って思ったとき、週末のお昼ご飯に、何かを買ってきて食べたり、外食をしたりということは、特に罪悪感を感じずにいられます。
でも、晩ご飯は作らないと、なんとなく罪悪感を感じてしまうのです。ダメだなぁ、私、こんなことも頑張れなくてって。
その違いは、自分でも理由がよく分からないほどの、感覚の違いでしかないんですけど、実際にそう感じてしまうのです。
だから、私は、疲れたときには、お昼ご飯の方を休むことにしています。
そんな風に、より自分が気楽に手を抜けることから、始めてみることがオススメです。
あなたにとって、あまり自分を責めずに、楽できることは、どんなことでしょうか?
そこから始めてみましょう♪
3.明確にする
先ほど、罪悪感とか自分が嫌になってしまう(自己否定)の感情が、手を抜くことのポイントになるというお話をしました。
その考え方に基づくなら、そういう感情を感じることなくいられる方法を見つけることができれば、自分を責めることも否定することもなく、気持ちよく手を抜けるということになります。
ひとつ、私の例を挙げると、私は、私自身が赤ちゃんの頃からアトピー体質だったため、子供の離乳食も市販のものは添加物やアレルギーが気になってしまって、全部手作りをしていました。
大変だけど、安心を優先させたかったのです。
でも、やはり外出先では手作りのものは衛生面も気になりますし、夫の実家への帰省などもあったので、何か良いものはないんだろうか?と探してみると、有機野菜だけで作られた、私が作るより身体に優しそうなベビーフードを見つけたんです。
お値段はちょっと高めなのですが、それを購入するようになってからは、外出時だけでなく、疲れてしまった日はそれを食べさせることができるという安心感で、気持ちが楽になったのを覚えています。
今の時代、ベビーグッズだけを見ても、本当に様々なニーズにあわせた、色々な商品があります。
探してみれば、もしかすると、あなたが罪悪感を感じることなく、楽になれる商品やサービスがあるかもしれませんよ。
こんな風に探すという意味でも、漠然と「しんどいな~」って思いながら日々を過ごすより、今あなた自身が、どんなことがしんどくて、何を楽にしたいと思っているのかを明確にしておくと良いと思います。
その方が解決策が見つかりやすくなりますから。
4.正当化する
それから、自分を責めないために、何かをやらないことを「正当化」してしまうというのも手です。
つまり、自分が納得いく理由を見つけるということです。
私の例でいうと、先に挙げたような神経質な育児をしていたにも関わらず、私は周りのママたちと比べて、子供を病院に連れていくことを、あまりしていませんでした。
予防接種には行ってましたし、さすがにおたふく風邪とかインフルエンザのときは、連れて行きましたけど。
風邪やちょっとの熱程度なら、病院を頼らず息子の自然治癒力に委ねていました。
これは後から「正当化」(理由付け)したわけではなく、元々、あまり薬に頼らせたくないという考え方があったからなのですが、
その裏には確かに、病院は混んでいるし、子供も嫌がるし、連れていくのが面倒くさいという気持ちがあったのも事実です。
でも、「なるべく自然治癒力で!!」という自分が納得できる正当な理由があったので、そういう面倒くさがる自分がいても、特に気に掛けることなく許すことができたのだと思います。
だから、面倒くさいな、ちょっと楽したいなってことがあったとき、自分を責めずに手抜きをするためには、そこに正当(っぽく感じられる)理由をくっつけちゃえばいいんです。
今日は、ご飯作るの面倒くさいなぁと思ったとき、買ったものですませるのに罪悪感を感じてしまうとしましょう。
そのときに、「ずっと気になっていたお店のお惣菜を試してみたかった」っていう理由があったら、どうでしょうか?
面倒だから買うのではなく、その惣菜を試しに食べてみたいから買うのであれば、だいぶ罪悪感が解消される気がしませんか?
もし、トイレトレーニングが面倒くさいのであれば、そんな小さい頃から無理に頑張らなくても、ある程度大きくなってからだと、そんなに失敗することもなくパンツに切り替えられたりするんですよね。
だから、「この子の自然な成長を信じて任せたい」って理由で納得しちゃえば良いんです。(もちろん、これも、絶対やらないということではなく、自分が余裕を持ってできるタイミングがあれば、サポートしてあげれば良いです^^)
とにかく、この納得感さえあれば、自分を否定せずに、楽な道を選びやすくなります。
けれど、どうしても良い理由が思いつかないなぁっていうとき。
そんなときに、万能で使える理由は・・・
「疲れ切ってイライラしてる私より、子供(や家族)だって、笑顔で楽しそうにしている私の方がいいはず!!」
コレです!!
子供そっちのけで自分の楽しさだけを優先するというと、それはまた問題がありそうですが、この記事をここまで読んでくださったあなたは、そんな人ではないはずです。
むしろ、真面目に一生懸命すぎるくらい毎日育児と向き合って、いっぱい頑張っている人のはず。
本当に本当に、いつも、お子さんのためにお疲れさまです。
子供を育てている、それって、本当に大変ですごいことだと思います。
だから、ぜひ、しんどくなったときくらいは、自分に優しく、この記事の内容を思い出して、ちょっとだけでも「楽」ができるあなたになってほしいなと思います。
この「あきらめ子育て論」が、疲れたあなたの心を少しでも楽にできるものになっていたら、嬉しいです。
忙しい毎日の中、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。