毎日の子育てって辛いこともあるし、疲れますよね。いつも、本当にお疲れさまです。

1日が終わる頃にはクタクタに疲れ切っている。。。なのに、なぜか、

「こんなことで疲れたなんて言っちゃいけない!!」

「こんなことで疲れるなんて情けない!!」

そんな風に、心のどこかで感じてしまうスパルタな自分がいたりしませんか?

 

かくいう私も、自分の疲れを許すことができない人間のひとりでした。

でも、疲れる理由を知って、少しずつ自分の疲れを認め、ねぎらうことができるようになりました。

今日は、そこにどんな変化があったのか、そんな話を綴っていけたらと思います。

 

こんにちは。学びママです。

さて、今日は、私が子育て暗黒期を乗り越えた方法、そして現在の奮闘記を余すところなくお伝えしていくシリーズ「あきらめ子育て論」第6回です。

前回に引き続き、今日も、正しく「あきらめる」ことで、子育てがちょっと楽になった、そんな私の体験談をお届けしていきますね。

 ◆「あきらめ子育て」って何ぞや?と思われた方は

 →《あきらめ子育て論① しんどい心が楽になる「あきらめ子育て」実践記

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1.「みんなできている」の呪縛

今回の「疲れ」問題に限らず、子育てにおいて、私が、今までとても自分の首を絞めてきた要因というのは、「みんなできている」という呪縛だったように思うのです。

「みんなできているんだから、私もできないなんて言ってちゃダメだ。」

とか

「みんなできているのに、できない私はダメだ。」

とか。

今まで、どれだけそんな風に自分に喝を入れ、自分を責めてきたでしょうか。

 

働いていないとなおさらですが、子育て中の自分が出会う人というのは、やはり子育てをしている人たちが多くて、つい周りと自分を比べてしまいがちですよね。

だから、子育てに疲れた自分がいても、「みんなもやってることだから、弱音を吐くなんて情けない」なんて感じてしまうのです。

 

じゃぁ、そうやって吐けなかった弱音は、どこへいくのかというと、自分の中に溜まっていきます。

そして、溜め込む限界がきたとき、溜まりに溜まった疲れや弱音やストレスは、イライラとして爆発したり、心や身体の症状としてあらわれたりと外に噴き出してしまいます。

私も実際に、幾度となく噴火を繰り返し、アトピーは再発し、特にイヤイヤ期の頃は、思い出したくもないような精神状態でした。

 

その悲惨な精神状態からどうにか抜け出したい、そう思った私が、まず行ったのが、言うのは本当に簡単なことなのですが、「みんな」ではなく「自分」に目を向けることでした。

自分が行っている日々の育児・家事に丁寧に目をむけてみる。そうして、頑張っていることを1つ1つ認めてあげること。

そうすることで、少しずつ疲れている自分も認めてあげることができるようになって、その疲れを癒してあげたいと、自分に対して優しくなれたような気がします。

 

2. 名もなき家事

育児をしていると、思い通りに家事もすすまなくて、やろうと思っていた用事も終わらないまま、子供と一緒に寝落ち・・・なんてことも少なくないんじゃないでしょうか?

以前は、よく「何もやっていないのに1日が終わってしまった。」「何もやっていないのに、疲れて寝てしまった。」と自分を責めていた私。

 

「何もやっていないのに」そう感じることこそが、ちゃんと自分で自分を見てあげられていない証拠だったと今では思います。

 

何もしていないような気がするのに、1日があっという間に過ぎていく感覚。

家は散らかっていて、洗い物もなかなか終わらなくて・・・今日1日、なんの家事ができたというのだろう?

そんなことを、よく考えていました。でも、何もできていないのに、疲れてしまう自分がいる。

どうしてなんだろう?

 

私にその答えのヒントをくれたのは、SNSで目にしたある言葉でした。

「名もなき家事」

 

家事と言われて、パッと思いつくメインのものと言えば、掃除、洗濯、買い出し、料理、洗い物くらいでしょうか。

くらいでしょうかといっても、実はコレ、結構な労力が必要だと思うんです。

 

洗濯は洗濯機がやってくれる。確かにそうです。

でも、細かくみていくと、洗濯物を集めて、汚れがひどいものは手洗いして、ネットに入れて、洗剤をいれて、洗濯機を回して、干して、取り込んで、畳んで、引き出しにしまって・・・

洗濯機のスイッチを入れてから干すまで、干してから乾いて取り込むまで、と時間が分かれているので気づきにくいですが、コレ全部をあわせると、「洗濯」ひとつとっても結構な時間を割かなければいけないことが分かるのではないでしょうか?

 

しかも、子供のお世話をしながら、そういうメインの家事をこなせば、主婦(主夫)の1日が完結するのかと言えば、そうではないんですよね。

 

「名もなき家事」

実は、この「名もなき家事」に割かれている時間が、意外と大きいのではないかと思うのです。

 

「名もなき家事」というのは、「洗濯」とか「掃除」という大きな括りに該当しなかったり、該当していても「家事」と認識されづらいもののことです。

例えば、脱いだ服の処理(裏返す、ハンガーにかける、畳む)や、献立を考える、買い物前に必要なものをリストアップする、洗剤を詰め替える、乾いたお皿をしまうetc・・・。

ひと手間だからこそ、なかったことにしてしまいがちですが、「名もなき家事」も積もれば山となります。

 

それと同じで育児にも「名もなき育児」があって、おむつ替えをしようと思えば、そのたびの手洗いは必要になりますし、お出かけしようと思ったら靴下も靴も履かせなければなりませんよね。

保育園や幼稚園になると、服を買ったら名前を書くという作業が必要になったり、園からもらってくる大量のプリント整理や、予定の把握も必要になりますし、行事や参観日、係の仕事だってあります。

入園したから、その分すべての時間が自由になるかといったら、全くそんなことはありません。

 

そんな風に、あなたが日々やっている「名もなき家事」「名もなき育児」を細かく意識してみると、何もやっていないと思っていた時間は、実はそういう家事、育児に充てられていたのだということに気づけると思います。

そうすれば、どうしてあなたの1日があっという間なのか、どうしてこんなに疲れてしまうのか、ちょっとは納得できるのではないでしょうか。

 

3. 緊張感

子育ての疲れといえば、寝れない、抱っこで腰が痛い、子供の体力についていけないという肉体的な疲れが挙げられることも多い反面、

精神的な疲れというのも、とても大きなものだと思います。

その中でも「緊張感」を常に保っていなければいけないというのは、大きな疲れの要因になっていると思うのです。

 

つい先日、息子が幼稚園の行事で、ザリガニを釣って帰ってきました。5年前にハムスターを亡くして以来、生き物を飼っていなかった我が家にとって、久しぶりの新入りです。

獲ってきた翌日に死なせてしまった、なんて話を聞いていたので、余計に神経質になってしまったのですが、

大袈裟かもしれないけれど、「池に返す日まで、この子の命を守らなきゃ!」という感覚。

そのとき、久しぶりに思い出したのです。

 

息子が生まれたばかりの頃のこと。

今や5歳になり、身体もしっかりして、本気のパンチなんて受けた日には「いったーーー!!!!」って叫んでしまうほどですが。

出産して初めて迎える母子同室の夜は、とっても怖かったのです。

身体も手も足も、すべてが小さくて、ふにゃふにゃで、一晩この子の命を守り切れるだろうかって。何かあったらどうしようって。

 

数時間おきと指示されていたのに、寝てばかりで起きてくれず、ミルクを飲んでくれないことが不安で、深夜に新生児室まで連れていって、助産師さんに相談もしました。

生まれたばかりの赤ちゃんなんて、一歩間違えば死んでしまうかもしれない、いえ、何も間違えなくても死んでしまうことだってある。

 

この小さな命を守る責任が私にはあるのだという緊張感。

どこかをぶつければ心配し、高熱を出せば心配し、本当に不安と心配の連続で、寝ながらも緊張していたような日々だったと思います。

熟睡なんてできなくて、夜中にはっと目を覚ましては、隣で眠るわが子がうつぶせになっていないか、ちゃんと呼吸をしているか確認していた時期もありました。

 

首がすわり、自分で寝返りも自由自在にできるようになって、ハイハイで好きな場所に動いていけるようにもなり、1歳を迎えたころ、

ようやく少し、もう大丈夫かな?ってほっとできたように思います。

(もちろん、動き回る息子に対して、お出かけの際などは、今度は違った意味で、命を守るという緊張感を感じることになるのですが(^^;)

 

そうやって、お腹に宿った命を確認したその日から、自分のものではない小さな命を守る責任を背負い、常にその緊張感と隣合わせで、私たちは子供のことを心配するのですよね。

普段あまり強く意識することはないかもしれませんが、こういう緊張感を常に持ちながら生活してるんだ。

そう思うだけで、ちょっと自分にお疲れ様って、言ってあげたくなりませんか?

 

私が、子育てに向き合う日々の中で、誰かに言われた途端、涙腺崩壊しそうになる言葉があります。

それは、「いつも頑張ってるよね」という言葉です。

子供を産んでから、本当に弱いんです、この言葉に。

 

それは、きっと私の心が欲している言葉だから。

欲しくて欲しくて、でも、私は自分自身にこの言葉をかけてあげられなかったのだなぁと思うのです。

最近は、少し自分をねぎらう気持ちを持つように意識していますが、きっとそれでも、まだ足りていないのでしょうね。

 

あなたは足りていますか?

「いつも本当に頑張ってるよね。」「お疲れ様。」っていう、あなた自身へのねぎらいの気持ち。

 

まず、疲れてるって思うことを自分に許してあげること。

そして、いつも頑張ってるよねって自分を認めてあげること。

そうやって、少しずつでも、自分に優しくなっていけたら良いですよね^^

 

さて、次回は、疲れている自分を認められるようになった後のステップ、育児に疲れた時にオススメのリフレッシュ方法をご紹介したいと思います。

最後までお読みいただいて、ありがとうございました。

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